ヘルパーさんが毎日家に来てくれているのだが、
毎回毎回、母は「ジュース」を出す。
コップにジュースを入れるのではなく、
缶をそのまま1本あげる。
ヘルパーさんは毎回恐縮する。
ヘルパーさん1回の費用は190円なのに、母は120円のジュースを1本差し出す。
ヘルパーさんからメールが来た。
「お母様にジュースを出さないように言っていただけますでしょうか。」
僕は母に電話。
僕「あのな。ジュースは遠慮すると。」
母「ハハハ。遠慮せんでエエのに。だいじょうぶだいじょうぶ。」
ダメだ・・・。全然通じない・・・。
僕「ジュースはいらんねんて。むしろ迷惑なんじゃないかな。」
母「そんなことないわ。ジュースもらって迷惑やいう人おらんわ!あんた大人になったと思ったのにそんなこともわからんのか!私は商売を40年・・・」
出た・・・
母の・・・
物をあげれば単純に誰でも喜ぶという理論・・・。
そりゃ物をあげれば喜ぶことが多いだろう。
でもこのケース、
ヘルパーさんは、お仕事中で、しかも利用者を介護するための立場で、
利用者の息子より、倹約を促されているというこの状況で、
120円のジュースをありがたくもらえるわけがない。
でも母には通じないのだ。このことが。
世の中は、0か1かだけではないんだ。白か黒かだけではないんだ。
「物をあげる=喜ぶ」
この単純な思考回路は、昔からのもの。
まして今は認知症になり、その回路を修正することは難しい。
訓練なんてもうできない。
前回、僕が帰省中にヘルパーさんが来たときのこと。
いつもどおり母は缶ジュースをあげていた。
もう・・・。
するとヘルパーさんは一切、手をつけなかった。
まるで「これだけ拒否をすればお母さんはわかってくれるだろう」と言わんばかりに。
しかし母は、何度も何度も「早く飲んで」「早く飲んで」と言う。
ヘルパーさんは「ありがとうございます」というだけで、一切缶を開けようとしない。
なんという戦いだ・・・。
結局、ヘルパーさんは缶を開けなかったが、
母が「じゃあ持って帰って」と言ったときに、僕が「持って帰るまで言い続けられますよ」という言葉でとうとう折れてくれて、かばんに入れていった。
そこで気づいた。
わかった!
母は本当は相手を喜ばせたいのではなく、
相手に物をあげている自分の立派さを見せたいのだ!と。
なんてやさしいのだろう・・・自分。
なんていい人なんだろう・・・自分。
これが示したいのではないだろうか。深層心理では。
翌日、僕のTシャツから糸が出ていたのを、母ははさみで切ろうとしたので、
「やめて!」と言ったが、数分経ったら、またはさみで切ろうとしたので、
「おい!やめろ!誰がそんなことをたのんだ!」・・・と言いかけたが、
グッとこらえて、
「お母さんはなんてやさしいんやろ。やさしいなぁ。けどそこまではせんでエエわ。やさしいのはわかったわ。」
と言うと、もうしなくなった。
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