弱いやつ、変わったやつをいじめるという行為、最近では社会問題になっているが、我々が小学校時代にもすでにあった。ただ問題が表面化しなかっただけ。自殺にまで発展するようなケースが少なかったこと、などが表面化しなかった主な要因だろう。
一方で、川崎市の中学1年殺人事件のケースをニュースで見ていると、ただ暴行を加えるだけでなく、殺意がはなっからあったと思える部分がある。暴行の結果、死なしてしまった…ではなく、殺してしまえという意思を感じる。
以前、滋賀で起きたいじめ自殺事件では、被害者が、自殺してもなお加害者生徒は亡くなった被害者を嘲笑する行為が明らかになり、その異常性が問題視された。遡れば、コンクリート殺人事件、名古屋アベック殺人事件も未成年者による殺人事件だったが、被害者が死んでも特に罪の意識がないという点で、もはや非行少年の事件というよりは、神戸連続殺人事件など猟奇殺人事件ととらえたほうがよいのだろう。
他人の命を奪うことに罪の意識がないこと自体、精神の成長に異常があり、
川崎市の事件もただの暴行殺人事件というよりは、もはや猟奇殺人事件と考える。
亡くなった子は本当に可哀想だ…。
しかし、他人の命を奪うことに罪の意識がなく育った加害者らもまた憐れだ。もはやただのサイコパスであり、一般社会でよい意味で輪を持って生きる術を学ばせてもらえなかった…。
不良グループの暴力事件で片付けるのではなく、こうした事件は、サイコパス事件としてとらえ、恐らく犯行グループであろう少年たちはただ逮捕して少年院に送致するのではなく、神戸事件の加害者のように精神医療を受ける措置が必要だ…。
罪は神が裁かれるが、加害者少年が社会で生きていくには表面だけの反省だけでなく、成長期に得られなかった倫理観の再構築をさせてあげなきゃならないだろう。それが、人の命を奪ってなお平然としていられるサイコパスに対する無関心だった社会の責任のように思う。
一方で、川崎市の中学1年殺人事件のケースをニュースで見ていると、ただ暴行を加えるだけでなく、殺意がはなっからあったと思える部分がある。暴行の結果、死なしてしまった…ではなく、殺してしまえという意思を感じる。
以前、滋賀で起きたいじめ自殺事件では、被害者が、自殺してもなお加害者生徒は亡くなった被害者を嘲笑する行為が明らかになり、その異常性が問題視された。遡れば、コンクリート殺人事件、名古屋アベック殺人事件も未成年者による殺人事件だったが、被害者が死んでも特に罪の意識がないという点で、もはや非行少年の事件というよりは、神戸連続殺人事件など猟奇殺人事件ととらえたほうがよいのだろう。
他人の命を奪うことに罪の意識がないこと自体、精神の成長に異常があり、
川崎市の事件もただの暴行殺人事件というよりは、もはや猟奇殺人事件と考える。
亡くなった子は本当に可哀想だ…。
しかし、他人の命を奪うことに罪の意識がなく育った加害者らもまた憐れだ。もはやただのサイコパスであり、一般社会でよい意味で輪を持って生きる術を学ばせてもらえなかった…。
不良グループの暴力事件で片付けるのではなく、こうした事件は、サイコパス事件としてとらえ、恐らく犯行グループであろう少年たちはただ逮捕して少年院に送致するのではなく、神戸事件の加害者のように精神医療を受ける措置が必要だ…。
罪は神が裁かれるが、加害者少年が社会で生きていくには表面だけの反省だけでなく、成長期に得られなかった倫理観の再構築をさせてあげなきゃならないだろう。それが、人の命を奪ってなお平然としていられるサイコパスに対する無関心だった社会の責任のように思う。