自分も含めてですが、己の立場や利害だけで考え、行動したり、発言することが多い社会になってしまったな…とふと思った。

通勤電車の車内、社内会議、車の運転…日々の中で相手に対してそう感じたことがある人は少なくないんじゃないかな?と思います。でも、自身はどうでしょうか?。よく最近聞きますが、イジメをしている生徒にイジメをしていたという認識はない…とのことですが、それはそうだろうな…と思いますよ。自分を客観視するのは難しいです。どれだけの人が自分を客観的できるのでしょうか?


イジメや虐待、パワハラ、セクハラなどいわゆる力関係に依存するあらゆる場面でも同様ですし、ネットでみられる非難の応酬もまた同様ではないかと思う。


いわゆるディベートと言われるものも、「相手を打ち負かす」道具になっていて、これは非建設的な行為に成り下がり、意味をなしていない。


すべては、人間という生き物が、群れ社会という集団を維持することで進化を加速させ、そうした社会(群れ)が熟す中で、自由経済や社会主義、共産主義といったイデオロギーを形成し、「より豊かに持続的に発展するにはどうしたらよかろうか?」と考えてきたから、今がある。のではないでしょうか?


個人の利害だけを尊重する生き方は、昆虫や魚類といった生き物にも備わる生き物の基本的な本質である部分は認めざるをえないけど、大脳を進化させてきた人間が逆行的にそうなって何の意味があるのだろうか?

たとえ話ですが、人間にはマフィアなど闇社会と言われる中に生きる方もいらっしゃる。だけど、そういう方々もいわゆるまっとうな生き方をしている奴らがいなければ、そこから外れる人間などがもたらす食いぶちがなくなり、闇系統の人々だけになればいずれつぶしあいになるだけで、「美味い話」はしりすぼみになくなるのがひをみるよりも明らかです。


これは国家間だって大して変わらぬ理屈で、「勝ち組」と思ってるアメリカやEU、日本など先進諸国だって所詮は、より安価に生産できる国や地域があるから、そのように思い込めるに過ぎないってことを忘れてはいけない気がします。


人類なんてたかだか数万年単位の存在で、今は化石でしか見られぬ恐竜ほどにも発展を持続していない新参者です。


謙虚に…感謝、礼節を忘れずに…想像力を発揮し、他者をおもんばかる心を維持していくことで、より未来に持続していく存在になりえるのだと思います。


自戒をこめて…。