森村誠一『新幹線殺人事件』(角川文庫) | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

森村誠一『新幹線殺人事件』(角川文庫)

森村誠一『新幹線殺人事件

※画像は角川文庫旧版

 

1970年8月カッパ・ノベルス書き下ろし。その一年前に上梓した『高層の死角』にて乱歩賞を受賞後、『虚構の空路』につづいて発表したアリバイもの。

 

角川文庫のカバ袖には

独創的な密室トリックと芸能界の裏面を抉る鋭い社会性とで、戦後推理小説中屈指の名作とされる、著者の最高傑作!

とあるが、犯行現場となった新幹線に容疑者が乗ることができなかったという意味では広義の「密室」だとしても、やはり素直に考えれば「犯行の時に現場にいることが時間的に不可能だったという情況を拵えてアリバイを作るトリック」(江戸川乱歩「類別トリック集成」)であり、「著者の最高傑作」という文言も含め、眉唾ものの紹介文である。

 

ただし、森村誠一ならではの資本制のロジックに乗って生きるひとびとへの悪罵にも似た批判が本作の背景をなす芸能界には概ね該当するという点では、「社会性」云々ということもいえるかもしれない。※

 

基本的に森村は貨幣や名声等の「虚」を追い求めるひとびとを憎悪しており、情愛や連帯といった人間同士のつながりを大切にしている。彼の作品に登場する多くの人物は、何らかのかたちでその人間らしさに挫折してしまった被害者であって、過去を拭い去るために現在を生きているといったことが多い。

 

本書でいえば、過去、結核ゆえに男性に捨てられた万博のプロデューサーの地位を争う芸能プロダクションの女社長であったり、生まれて間もなく焼却炉に廃棄された容疑者といったあたりだが、惜しむらくは、そのような人物像がストーリーに十全に生かされていないということだろう。

 

なぜなら、万博プロデューサーの座をめぐる巨大芸能プロ同士の争いに端を発する新幹線内での殺人、それも容疑者はその新幹線に絶対に乗ることができないというアリバイをもっているという不可能犯罪状況を核としながらも、後半にとってつけたようなマンション内での殺人が発生することでそれまで散々盛り上げた人物像が薄れてしまい、ただの芸能界批判へと転化してしまうからである。

 

トリックを惜しまず複数投入するという初期森村のサービス精神はいいのだが、特に密接な関係があるとはいいがたく、ストーリーのバランスにひずみをもたらしてしまっている。

 

また、途中から捜査を描くことが主眼になるのはよいとして、トリックの解決の仕方が理詰めの延長線上にあるのではなく、何気ない日常の気付きから唐突に突破口が開けるという、少々偶然によりすぎているところもやや物足りない。

 

しかし、捜査過程は十分に楽しむことができるし、トリックもあっと驚くようなものでないにしても、よく練られている。ラストでいきなり思い出したかのように現れる女社長の愁嘆場も、作品の結末としては悪くない。

 

『高層の死角』あたりの森村節が気に入ったひとは、読んでみてもいいだろう。

 

※なお西郷輝彦襲撃事件やジャニーズ事務所の暗黒ぶり等を描いた芸能界最強のタブー本として、星伸司『虚飾の海―さらば芸能界よ!! 実名告白手記』を勧めておく。

 

★★★☆☆