鮎川哲也『太鼓叩きはなぜ笑う』(創元推理文庫) | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

鮎川哲也『太鼓叩きはなぜ笑う』(創元推理文庫)



鮎川 哲也
太鼓叩きはなぜ笑う』(創元推理文庫)

鮎川は大概読んでいるのだが、「三番館」シリーズだけはなぜか放置状態。いうまでもなく鬼貫もの、星影ものはそれぞれアリバイ崩しであったり、密室ものであったりと鮎川のイメージにぴたりなのだが(「冷凍人間」のような『怪奇大作戦』じみた作品なんかも結構あるけどさ)、この「三番館」シリーズ、後期鮎川の特徴ともいえるブラック・ヒューモアに本格の味付けをした極上の逸品。

基本的に全編、ろくでもない事件に巻き込まれた容疑者の弁護士から調査を依頼される私立探偵の「わたし」が駆けずり回り、疲れきったところで「三番館」なる会員制バーにて達磨っぽいバーテンに愚痴をこぼすと、彼が「それは、……ではございませんでしょうか」と事件の手がかりを与えてくれるといった構成。いわば安楽椅子探偵の変形。

そんなマンネリを貫きつつも、ひとつひとつの事件で用いられる謎やトリックはそれぞれに個性的でまったく飽きさせることがない。『黒後家蜘蛛』を全五巻読み通すのがつらい人でも、これなら大丈夫かと。

デパートで雨宿りをしていた男が、痴漢に間違われた挙句、帰宅してみると殺人容疑者になっていた「春の驟雨」。彼が散歩中に目撃したという青いトタン屋根がどこにもないのはなぜか? という謎も魅力的なんだが、さらにアリバイ崩しと死体はなぜ無意味に浴槽に突っ込まれて濡れていたかとさらに謎を重ね、ひとつだけで終わらないのが鮎川らしさ。シリーズのスタートとして上々の一編だ。

さらに中華料理屋で被害者が殺された時刻に食事をしていたにもかかわらず、誰も彼のことを覚えていないという謎を追う「新ファントム・レディ」。計算高いピアノの販売員が、身に覚えのない不倫相手の殺害犯として追われる「白い手黒い手」。これは会ったこともない彼のイニシャルが入った腕時計を、被害者がはめていたというのがひとつの謎なんだが、鮎川の作品をよく知っている人間ならすぐに解けてしまいそう。そして被害者が殺される際に読んでいたミステリと、痛飲していたウィスキーがアリバイと密接に絡んでくる表題作。基本的には、時刻表を使わないアリバイ崩しがメインといえるだろう。

しかし元版に収められていなかった「竜王氏の不吉な旅」は長編に改稿の予定だったらしく、鬼貫でも出てきそうな一編である。スーパーの冷凍庫で発見された死体の死亡推定時刻に、最重要容疑者は遠く離れた土地を旅行中だったというスタンダードな物語なのだが、ここに仕掛けられた数々のアイディアときたら。これだけで長編一本になるのは間違いない。逆にいうと、短編にするには少々詰め込みすぎ。それでも密度がえらく高い。

といった五編が収められているのだが、それぞれ実によく考えられている。事件を実質的に解決するバーテンの指摘は本当にしごくまっとうかつ常識的なことで、錯綜した事件の核を見事に言い当てているのだが、それは要するに鮎川が考え抜いて短編群を書いていることの証左にほかならない。というか、どんなに複雑怪奇に見えようとも、あくまでそれは見えているだけだという、探小の基本を彼は教えてくれるような感じすらするわけだ。

時刻表がメインとなるようなアリバイものとった鮎川の一般的なイメージからは少々ずれているかもしれないが、やはりこのシリーズも歴とした鮎川の作品群なのである。

「春の驟雨」1972・1『小説サンデー毎日』
「新ファントム・レディ」1972・9『小説サンデー毎日』
「竜王氏の不吉な旅」1972・9『別冊小説宝石』
「白い手黒い手」1973・3『小説サンデー毎日』
「太鼓叩きはなぜ笑う」1973・5『小説宝石』
★★★★☆
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