バブルの崩壊以降、都心、特に東京には再開発の波も有り、多くのタワーマンションが建設されました。具体的には1997年(平成9年)、規制緩和の一環として容積率上限を600%まで緩和した事により、これ以降、超高層マンションが急増しました。それらは、例えば50階程度の物件で180メートル前後の高さになります。
「阪神・淡路大震災」は1995年ですので、まだ超高層マンション出現前です。「東北地方太平洋沖地震」が2011年で東京の都心部でも震度6強を観測しました。実はこれが東京の超高層マンションにとって大地震の初体験だった訳です。それまでは、そんな高層階で地震が起こると一体、どういう状況になるのかなどは過去に経験が無いため、誰もわからなかったのです。
私も当時は、東京の秋葉原駅前のUDXビルという、出来たばかりの最先端のビルで勤務していたので、当時の様子を鮮明に記憶しています。発生の瞬間は喫煙ルームにいて、窓の外を見ると隣のビルの屋上に設置されている給水塔がグラングラン揺れていました。
長文にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
「阪神・淡路大震災」は1995年ですので、まだ超高層マンション出現前です。「東北地方太平洋沖地震」が2011年で東京の都心部でも震度6強を観測しました。実はこれが東京の超高層マンションにとって大地震の初体験だった訳です。それまでは、そんな高層階で地震が起こると一体、どういう状況になるのかなどは過去に経験が無いため、誰もわからなかったのです。
私も当時は、東京の秋葉原駅前のUDXビルという、出来たばかりの最先端のビルで勤務していたので、当時の様子を鮮明に記憶しています。発生の瞬間は喫煙ルームにいて、窓の外を見ると隣のビルの屋上に設置されている給水塔がグラングラン揺れていました。
幸い、私の居たビルは完全免震構造でしたので、二重構造になった壁が刷り合わされるようにギシギシ、スライドして力を逃がしているのがよくわかりました。
そしてこの時の超高層マンションの惨状は、TVのニュースで頻繁に流れていたので、この記憶は日本国民の記憶に鮮明に焼き付けられました。
そしてこの時の超高層マンションの惨状は、TVのニュースで頻繁に流れていたので、この記憶は日本国民の記憶に鮮明に焼き付けられました。
それは、高層階に住む住民が、電力、ガス、水道のユーティリティが停止して、トイレの水も流せず、近くの公園に給水車が来て、両手でバケツに支給された水を持って非常階段を50階まで登っている風景です。
ここで良識の有る日本人の大半は、高層階に住む脆弱性を初めて認識しました。これは正に「一事が万事」で、「一度でも起きたら、地獄だ」という事を痛感したはずです。「99%起きないからまあ、いいや」と思い飛ばす事は出来ない類の事象でした。
更には、平均年齢が高齢化してきた現在では、両手で水満杯のバケツを持ってこの50階の階段を登るのは、20歳の屈強な若者でもまず不可能なので、高齢者だと絶対にお手上げでしょう。
ここで良識の有る日本人の大半は、高層階に住む脆弱性を初めて認識しました。これは正に「一事が万事」で、「一度でも起きたら、地獄だ」という事を痛感したはずです。「99%起きないからまあ、いいや」と思い飛ばす事は出来ない類の事象でした。
更には、平均年齢が高齢化してきた現在では、両手で水満杯のバケツを持ってこの50階の階段を登るのは、20歳の屈強な若者でもまず不可能なので、高齢者だと絶対にお手上げでしょう。
トイレの水も流せないので、たとえ外部のレストランのトイレを借りるとしてもやはり50階の階段を昇り降りしなければなりません。
以上のことから、私は2011年の「東北地方太平洋沖地震」で、超高層マンションの高層階に対する価値観、評価が変わったと思っています。
以上のことから、私は2011年の「東北地方太平洋沖地震」で、超高層マンションの高層階に対する価値観、評価が変わったと思っています。
なぜなら、人間は、「生存のための基本的ライフライン」あるいは「安全性」、「有事、緊急時の対応」に関しては、「眺望」の価値観を越えるプライオリティ(優先順位)」を 感じるからです。
ちなみに、不動産アドバイザーである牧野知弘さんは、その著作「不動産投資の超基本」では、以下のように述べています。以下、ご参考までご紹介いたします。
「マンションに住むなら、3階または、4階がベスト」
「給水車からもらった水を入れたバケツなどを運ぶことを考えると、5階以上はNGでしょう。」
「また、1階や2階では、マンションのよさである眺望や空を見晴らす開放感が得られません。また防犯上も2階までだと、空き巣や暴漢などの侵入も心配です。」
ただ、このような価値観の変更は、現時点ではマンションの価格にまだ反映されていません。しかし、この重要さは早晩、誰でも気付く話ですので、今後、徐々に価格に反映されていくでしょう。
ちなみに、不動産アドバイザーである牧野知弘さんは、その著作「不動産投資の超基本」では、以下のように述べています。以下、ご参考までご紹介いたします。
「マンションに住むなら、3階または、4階がベスト」
「給水車からもらった水を入れたバケツなどを運ぶことを考えると、5階以上はNGでしょう。」
「また、1階や2階では、マンションのよさである眺望や空を見晴らす開放感が得られません。また防犯上も2階までだと、空き巣や暴漢などの侵入も心配です。」
ただ、このような価値観の変更は、現時点ではマンションの価格にまだ反映されていません。しかし、この重要さは早晩、誰でも気付く話ですので、今後、徐々に価格に反映されていくでしょう。
つまり、「高齢化社会」、「人生100年時代」では、居住者は高層階よりも低層階の方により「価値(便益)」を見出すようになります。
高度成長が終わりバブルも弾けて、「失われた20年」で経済も相変わらず横ばいで成長せず収入も増えず、一方で社会も成熟化していき、そこに住む住民も総じて高齢化していく世界では、「名よりも実」を取るのが自然です。
高度成長が終わりバブルも弾けて、「失われた20年」で経済も相変わらず横ばいで成長せず収入も増えず、一方で社会も成熟化していき、そこに住む住民も総じて高齢化していく世界では、「名よりも実」を取るのが自然です。
「見栄」とか「体裁」に金を掛ける「馬鹿らしさ」に気付き、「身の丈に合った」「実質」を評価する目が育ってきます。
そしてその萌芽は既に始まっています。例えば、自分のお気に入りのアーティストのCDなどは、そのパッケージや帯などの「仕様」や「体裁」に異様に拘り、特別仕様の限定パッケージに群がり、それをお宝のように聴きもせずに大事に保管していたりする傾向がバブル時代には頻繁に見受けられました。
そしてその萌芽は既に始まっています。例えば、自分のお気に入りのアーティストのCDなどは、そのパッケージや帯などの「仕様」や「体裁」に異様に拘り、特別仕様の限定パッケージに群がり、それをお宝のように聴きもせずに大事に保管していたりする傾向がバブル時代には頻繁に見受けられました。
しかし最近ではネット流通の普及も有り、「体裁」で有るパッケージ自体にはそこまでは拘らず、最初からその「実質」である「音源データ」だけを購入する比率が増えてきました。これも「名よりも実」を取る時代になってきた象徴的な一例でしょう。
結論ですが、これからの時代は、高齢者かあるいは高齢者予備軍の人がマンションを購入することになります。その際、自分の資産状況と自分の肉体的な余力を勘案して自分の身の丈に合った資産を選定し、購入していくことになるでしょう。
結論ですが、これからの時代は、高齢者かあるいは高齢者予備軍の人がマンションを購入することになります。その際、自分の資産状況と自分の肉体的な余力を勘案して自分の身の丈に合った資産を選定し、購入していくことになるでしょう。
その場合、物件の資産性の観点から「高層階か低層階かの選択」をするとしたら、どうも低層階の方に軍配が上がるように思えます。
長文にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。