このエッセーも今回で6回目になりますが、今回で一応、完結します。そもそも、本エッセーのテーマは、「東京オリンピック後は、東京のマンションバブルは崩壊するのか?」でした。冒頭で申しました通り、私の見解は2016年から一貫して変わっておらず、「崩壊しない」と思っています。


この問いかけに答える事は、「過去20年、東京の地価はなぜ上がり続けたのか?」という問いに答えるのと同義です。何故なら過去、東京の地価が上がった要因を特定して、それがバブル要因の属性を持っているか否かを見れば、自ずとその答えは明らかになるからです。

従って過去5回は、このプロセスに則って、私自身の体験談を交えながら、エッセー的に説明してまいりました。それを要約すると以下のようになります。

・戦後の東京における都市デザイン行政により、所謂「ドーナツ化現象」が進展し、サラリーマンの住居は都心部では無く、大部分は東京の周辺部、外縁部でした。その象徴が、「マンモス団地」の「高島平団地」でした。昭和30年代以降の高度成長期を前線で背負っていたサラリーマンは、このマンモス団地に住むのがステイタスでも有り、従って都心のビジネスエリアに長時間電車通勤を甘受するのは、当然の事でした。


・その結果、「皇居を中心とした都心部」エリア及び副都心エリアは主に行政、ビジネスエリアとして、専ら行政・官庁街、ビジネス街が集積しました。


・居住エリアも同地域には有るには有りましたが、先祖代々の地権者やあるいは政治家、事業家などの富裕層(超お金持ち)などの一軒家が千代田区、港区などの山の手地区(昔の本郷区、小石川区、牛込区、赤坂区、麻布区辺り)にほんの一握りの人々が住んでいるのみで、それはあくまでも例外でした。


・そこに1990年初頭のバブル崩壊が起こり、都心部に集中的に建築されていたビジネスビルのオーナーが軒並み破産して、その後も「失われた20年」で一向に景気も回復しないために後継オーナーも見つからず、所謂、都心部に不良資産が散在し、それらは、所謂、「塩漬け」になっていました。


・この不良資産の後始末に難儀していた当時の不動産会社は、大幅に値引きしても新しいビジネスオーナーが付かないために、その跡地を全戸住居用のマンションにするという苦肉の策を検討するようになりました。つまり、空き地を業務用途とから居住用途に転換しようと考えた訳です。


・しかし、そもそも2000年頃までの都心部は、一部の例外を除いて一般ファミリー層としての居住エリアとして想定されていなかったために、有意な市場価格を形成するに足るだけのマスボリュームに欠けていて、現在、当然のように存在している都心部のファミリー層(一般サラリーマン)向けマンションの市場価格というもの自体が、存在してしませんでした。


・前例が無いため採算性の有る適正な販売価格帯もわからないので、トータルの事業採算性もはっきりしません。バブル崩壊後の不採算時期に、こういうリスク案件を仕掛けるというのは、大企業でも意思決定しかねていました。


・そこに救世主が現われました。前例の無い「都心部」の「ファミリー層向けマンション」の先行事例的な「人柱」になったのが、2000年8月に中央区晴海1丁目に完成した「晴海アイランドトリトンスクエアガーデンプラザ」という都市公団(現、UR)の賃貸マンションでした。


・このマンションは、市街地再開発事業プロジェクトで都市型複合商業施設「晴海トリトンスクエア」の付帯施設です。このプロジェクト自体が国家プロジェクトであり、都市公団自体も事業収益を一義的に追求する民間企業では無く、ある意味、都民の住環境の整備、サポートという福利厚生的な色合いが強い独立行政法人なので、単独の民間企業よりもリスクが取りやすかったのだと思います。


・この「晴海アイランドトリトンスクエアガーデンプラザ」の賃貸マンションが話題になり、TVにも取り上げられ、「都心に住む」「都心回帰」と言うキーワードで語られるようになり、これによって不動産会社は、「どうも都心エリアにも一般ファミリー層向けのマンション需要は有るぞ」と確信し始めた訳です。


・市場が有るのはわかったものの、その適正分譲価格帯が残っていた訳ですが、都心周辺部エリアのファミリー層価格の数字を参考にしてまずは「お試し価格」として開始して様子見をする前提で都心向け一般ファミリー層マンション事業に「GO」をかけたのです。


・そして幸いにもバブルで虫食い状態であちこちにまとまった広さの不動産が遊んでいるので、そのエリアを活用して、これまでは、東京都周辺部にしかなかったファミリー層向けマンション開拓が動き出したのです。


・こういう経緯が有ったため、2000年頃のマンション分譲価格は、一時的では有りますが、驚くことに都心部の新築物件の分譲価格と都心周辺部エリアである国分寺、立川、八王子等の武蔵野台地辺りの物件価格がほぼ同等の価格でした。、当時の「いびつな価格体系」の原因はここにありました。


・その後、現在に至るこの20年間にわたって、都心エリアにバブルで潰れたビジネス施設(ビル、工場等)の跡地に高層タワーマンションが雨後の竹の子のように建つようになり、昨今の低金利トレンドにも助けられ、その分譲価格も、「まだ行ける」「まだ行ける」とジワジワ上げていったのが、現在の東京都の継続的な土地高騰の主たる原因なのだと思っています。


・実は、その「先駆け的」でかつ「象徴的」な再開発プロジェクトが、その後すぐの2002年に動き出しました。それが、当時、湾岸エリア再開発の一貫としてお台場開発が完了し、一方、上述した通り晴海エリアの開発も完了して、今度はその間を繋ぐ、豊洲エリアの再開発プロジェクトだったのです。


・2002年からの豊洲の物件価格の推移を見れば、最初は東京周辺部の分譲実績並みの価格帯でまず売り出されており、その後、その販売実績の勢いを見て、これは売れると思ったら、徐々に価格を吊り上げていく歴史が、きれいに数値に表れていています。
・豊洲は、象徴的なわかりやすい事例ですが、これのみならず、他の東京都心部エリアでも同様に豊洲の成功を横で見ながら、価格を徐々に高騰させていくプロセスが見て取れます。


以上が、過去5回分の要約になります。


2019年現在でも、都心エリアの価格上昇の先兵的な豊洲エリアでは、最後のタワーマンションが2~3棟が現在、建設中です。その分譲価格帯は、80平方メートルで8000万円の大台に乗っています。2005年からかれこれ15年近く、結局、堅調に分譲価格は上昇してきましたが、さすがに8000万円の大台の声を聞くと、この辺が天井っぽい感じがしています。

つまり、豊洲の分譲価格は、4000万円から8000万円までとほぼ倍にまで上昇しましたが、これは一体、何を意味しているかと言えば、過去、一般ファミリー層マンション市場が存在しなかった、2000年頃から、じわじわと、都心における当該市場における「適正価格の天井を探るための調整プロセス」だったと言えるのでは無いかと思っています。そして、現時点でどうやら、天井が見えてきたという事です。


一方、豊洲の現在、建築中の物件とほぼ同時期位に完成する国分寺や武蔵小金井エリアの駅直結(徒歩1分)の新築分譲マンションも最多販売価格帯が7000万円位と、都心部のマンション価格の上昇につられて東京周辺部の価格も上昇している模様ですが、それでも生活利便性の差による都心部との価格差は明確に形成されているように思えます。(そもそも徒歩1分の駅直結物件なので、周辺部の中でもかなりハイグレードな物件だとは思いますが。)


ただ、東京エリアのマンション価格が全般的に高騰し過ぎて、東京周辺部エリアである国分寺や武蔵小金井の最多販売価格帯7000万円の物件も多分、面積的には80平方メートルは無いと思われます。日本国民の7割を占めると言われているサラリーマンの給与水準からしても、この位の価格帯が購入出来る限界値なので、後は3LDKの体裁は維持しつつ、実際の広さ(面積)を微妙に小さくして(一昔前の2LDK相当の広さ位で)販売しているのでしょう。

結論ですが、ここ20年の東京都心部のマンション価格高騰の原因は、東京オリンピック需要などでは無く、東京土地行政の特殊性に起因した、世界的な基準からして相対的に安過ぎた東京都心部のマンション価格が、バブル崩壊後の都心部の「兵どもの夢の跡地」にバンバン、建てられた一般サラリーマン向けの高層マンション、タワーマンションの増大により、「適正価格にたどり着くまでの調整プロセス」を経て、現在の価格に落ち着いたというのが実態で有るのではと思っています。

 

つまり、世界の有数の大都市「東京」のマンション価格が世界基準で見ても適正価格になっただけであり、そうであれば、そこには、必然的に投機性や恣意性などバブル的要因は介在しておらず、その意味においてそれは「実需」で有ったと言えます。

 

従って、私は、東京オリンピック後に、東京のマンションバブルが崩壊する理由は、この点において無いと言えると結論付けている訳です。長文にお付き合いいただきまして、どうもありがとうございました。