6/11 ママ哲 報告

 




今回はこじんまりとアットホームな感じでのトークでした。

 

テーマは「待つことは我慢か」

 

色々な意見が出ましたね。

カフェで話された流れを書きつつ、感じたことも書きますね。

 

「子どもは待つことは我慢だと思っているようだ。」

「家事が終わらない中で、子どもを待たせて悪いと思っている。」

「私自身は待つ(何か進行をいったん止められる)ことで、今実行に移そうとしているやり方が本当にいい道なのか考え直すきっかけになっている。」

 

そんな中でたまたま一緒に参加してくれたお子さんが

 

「5分以上は待てない。」

 

と一言。

 

大人一同は「5分かぁ…。」

 

あれこれ考える大人達。5分でできること…、5分でできること…。

 

…ほとんどない。

 

つまり、子どもに「ちょっと待ってて」というだけで(たとえ些細な時間であっても)

子どもには厳しいということだった。

 

私たちは日々、子どもたちにどれだけ「ちょっと待って」を言い続けているだろうか。

 

「どれくらい待てばいい」と時間を伝えてほしい。とその子は言う。

子どもの要望や連絡事を軽視していないか。という疑問も話の中で出てきた。

 

そう。残念なことにそもそも親は我が子の意見を赤の他人と同じくらい丁寧にはくみ取ってはいなかったようだ。(自覚なしだったから、みんなで「あぁ」って反省。)

 

家族への甘え、なのかもしれないね。

子どもが親に対して甘えるのと同様に、親も子供に甘えていたのね。

 

さて、話を戻そう。

 

「待つことは我慢か」

 

「待つ」自体に「我慢」の意味はないけれど、

制限のない「待つ」 や 子どもの限界を超えた「待つ」 はやはり我慢なのかもしれない。

(少なくとも、私はそのように感じた。)

 

でも、各々が多少は自分のやりたいことを我慢して、相手のペースをくみ取ることをしなければ

生活が成り立たないし、我がままという別の弊害もでるだろう。

 

要は、待つ制限を設けたり、お互いに状況を伝えあうなどして状況を共有出来たらいいのかな。

そして、「ありがとう」と互いに労う関係でいられればいいのかな。

 

「待つ」という言葉を紐解いていたら、私にはこんな答えがでてきた。

 

みなさんはどうだったかな。 

 

 

(もこ)