失敗から得る学びの利得

「失敗学」あまり聞き慣れない学問ですね。

成功を求めようとする時に、反対に失敗というのが存在するため、失敗はいったいどのように発生するのだろうと思い調べていたら出会ってしまった。

 

個人において成功者になるための哲学や教えは沢山あるために、それを実践しない場合に失敗に至るとも考えられるが、あえて「失敗」に着目する事でより具体的にそれを避ける方法を見出し、しかも「社会」つまり集団における失敗の本質が見えてくる事は、まちづくりを行う上で、関心を持っておきたい分野だと感じた。

 

学問としては地味な存在ということで、広く知られていないのかもしれないが、これも一種の失敗の要因かもしれない。

 

調べている中で、下のリンクにある財務省の中の研究発表として冒頭に、

https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/fy2020/jinkou202010.pdf

「社会学=人間が見たくないと思っている社会の側面を見せてしまう学問」と表現されているが、失敗学もまさに、過去の失敗に目を向け分析をするあたりが、見たくないものを見なければならない事から、避けておきたい分野なのかもしれないと察した。

 

しかし、失敗の要因を知らない事は、同じ失敗を繰り返してしまう可能性を引き上げてしまう。

失敗したという事実を認識して、とことん探求した方がこれからの為になる事は間違いないだろう。

思考が現実化するというスピリチュアルか量子論的な側面から見ると、失敗という思考を排除した方が良いようにも思われるかもしれないが、それらが語る失敗の本質には、「失敗を恐れる」という心のネガティブに引っ張られる場合に起こりえる事であり、むしろ知る事によって「安心の獲得」につながる事から成功に向かう必要な要素とも言えるのではないかと思う。

 

​コミュニティーが抱える失敗の連鎖

まちづくりにおいては、組織的な失敗を経験をするおそれのあることから、失敗したときの責任を問われることもあり、勇気をもって新しいことに臨みにくくなっている。
しかし失敗をおそれて何もしないことは成功もないということだ。
何も起こらないどころか、地域は衰退する方に向かっていくだろうから、現状維持をするだけでも何かは続けていかないといけない。
組織においては、複数の構成員の賛成を得ないといけないことを考えると、物事の進まないことを議論するよりも、構成員が果たしてこのままでよいのかを考えた方がより効率的かもしれない。
もちろんそんなこと言い出すのはご法度だろうが、その組織の目的とより達成をできることを考えた時、何を取るべきかは必然的に見えてくるだろう。

 

​失敗を糧にする認識転換

日本はとにかく失敗を避けようとする民族ではあるが、変化の多い時代、国際力の必要な現代においては、悠長なことは言っていられない。
命にかかわることでない限り、どんどん挑戦して率先して失敗をしていく経験を積んていくことが美徳であるような認識転換が必要な時期に来ていると思う。
大人がビクビクして生きている中で、子どもたちに挑戦しろ、思いっきりやってみろと言っても、子どもはそんな大人を見抜いている。
さあ、大人よ、失敗をして成功へ向かって行こうではありませんか。

 


 

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