以前の記事の「本物のある生活 その1」で

「社会人になって務めた高級婦人アパレルの会社での様々な出会いが、私にとって「本物」を勉強する沢山の機会を与えてくれました。」と書きました。

 

本日はその続きを・・・

入社して間もない頃、取引先の毛皮会社の副社長が来日した時のこと。私は残念なことに、例のアルマーニのフェイクファーのコートを着ていたのです。アパレル会社に勤めているとはいえ、新卒で入社1年目の私はお洋服を沢山持っているはずもなく、持っていたコートを着て行きました・・・。

 

副社長に会うなり「No~. fake fur!」と言われてしまいました。
やはり、毛皮の会社なのだからフェイクファーはダメでしょう・・・

 

そんな恥ずかしい想いをしたこともあり、それ以降、本物でないことはとても心地が悪い!と思うようになり、それから会社の商品を自分の給料分、どんどん買い物をしました。

若いうちは貯金などせずに、自分に投資をしなさいと言われたので、全く罪悪感はありません。会社のトップも自分が気持ちよく過ごすにはどうするかを徹底して追求していました。徹底的に追求する姿勢はすべての仕事に対して同じなので、厳しいことも言われたけれど勉強する機会を沢山頂けて、本当に有難い環境でした。

そして、どんどん影響を受けました。


とにかく自分の周りを綺麗に整えること。
自分自身の身なりを整え、目に入るインテリア、仕事で使う小物に至るまで質の良いものを選ぶこと。

 

高級な服を販売するなら、本物の素材の服で過ごして感じること。

ジュエリーや時計、ファーやバッグや靴など、小物は大事なエッセンスであり、それがファッションの格を決めてしまうこと。

お洒落に詳しい方ならばこれに近いようなルールをお持ちのことと思います。私も装うということにおいて核の部分を形成しています。

 

偽物の素材であっても機能が果たせれば、見た目が派手になればいいという考えもありますが、なぜ本物の素材が良いのでしょう?

 

「本物のある生活」 = 「丁寧に生きる」ことにつながるからだと私は思うのです。

本物を手に入れるには、素材の希少性への理解と、素材から物へと作られる人の手が加わる過程への敬意を持ち合わせていないと、それ相応のお値段がするので中々手が出せませんね。

 

物への敬意を払うようになると自然に物を丁寧に選びわけ、丁寧に買い物をして、丁寧に持つ。

 

そうして選んだ自分のお気に入りの「本物」に囲まれて生きることは、とても気持ちがワクワクするものです。

 

ハヤシミチコでした。