私にはそういうこと以外考えられない、考えたくない、
ひたすらそういう感じになる時期がある。
死という話題は何故こんなにもタブー視されているのだろう。
怖がる前に、1度きちんと考えてみてはどうか。
世間にたいして私は堂々、そんな風に問うてみたい。
一斉に皆がこぞって言うのだろう、
生きているから価値があるのだ、
その理由は?
生きていれば、快楽を味わえるからだ。
それが何故よいことか?
生きていることにおける価値とは、
快楽を味わうことのみにあるのだろうか。
何のために生きているか。
何のために。
物質的な豊かさを追い求めてもきりがなく、
心までは満たされない。
終わり無き、飽くなき、果てのない欲望を追い掛け追い求めつつ終わる生に何の意味があるだろう。
それでは虚しすぎる。
私はそんなもののためになど生きたくない。
何のために生きているか、
生きるとは何かを考えたい。答えがほしい。追い求めたい。
逆に、死についても。
死は毎日、日々そこら中に溢れているのに、
人は目をそらしたがる。
視界に入れたくないのだ。
怖いから、分からないから、怖いから。
逆に私はあえてそれらを手に取って、
ここで、この頭の中で延々考えていたい。
何故人は死を恐れるか、怖がるか、
死を選ぶ人がいるのは何故か、
人を殺すのは何故か、
死は、無なのか
無と死は、イコールなのか。
動物と違い、人間は観念としての死を持っている。だから自殺も他殺も自爆テロもある。
何という生き物だろう、人間は。
時々絶句してしまう。
生きるとは、在ること
死ぬとは、無くなること
これは正しいのだろうか。
誰も正解を知らない。
どこにも書いてない。
考えるしか、道はない。
そんなこと考えなくたって、
確かに日常は送れるのだ、が。
何の支障もなく、でも、、、
それでは私は、死んだフリして
生きているのと同じなのだ。
本当に本質的なことから目をそらして
ただ食べるためだけに生きるだなんて。
そんな死んだような人生を生きたくない、
だから考え続けたい。
答えがないことを。
たった一人でも、
考え続けていくんだろうなぁ。
深淵にて。