私には長らく親を憎んでいた時期があった。

憎む…とはいっても
母親も父親も、親としての義務はきちんと果たしてくれたので

(実際、私は県外の私立大学へ進学した)

何不自由なく育ててもらったことに
感謝をしていることは間違いない。

大変なことだ、
私は沢山のお金をかけて育ててもらった。

今、しみじみとその大変さを痛感している。
自分が親となって…。

ただ、時々考える。
幼少時代からの家庭の状態を思い出しては、
無性に苦しくなるときがある。

小さい頃から我慢強かった。
弱さを見せられない子どもだった。

母と父の離婚前のゴタゴタ。

離婚してからもそのゴタゴタは続いた。

本来なら、親同士のゴタゴタに、
子どもを巻き込んではいけなかったと思う。

ゴタゴタがあっても、なるべくそれを見せないよう、感じさせないよう配慮してほしかった。

かなり長期間、お互いの板挟みにあっていた。

お互いがいくら、どんなに憎しみあおうとも、
それは子どもには関係のないことだ。

うんと気を付けてほしかった、全ては今更なのだが…。


味方がいなかったんだよなぁ。

はた目には、恵まれているように見えていただろう。
友人には、あなたのところは親がちゃんとしてるからいいわね、なんて言われていた。

私自身も、

憎むどころか
感謝しなくてはいけないと

強く自分に言い聞かせていたところはあったかもしれない。

そしてそう思い込むことで、更に苦しくなっていったということもあると思う。

いい子でいようと、頑張りすぎた。
長い間。

感謝するべきところには感謝する。

でも、背負わなくてもいいものまで
私は背負いながら成長した。

それがもし、パニック障害やうつ病を引き起こす引き金のほんの少しでもそのきっかけになっていたとしたら、やるせない。

プツンと私の中で何かが切れて、

ある時期、本当に親が憎たらしくて仕方がなかった。

思えばその頃、私は全然幸せではなく
不平不満ばかりを漏らしていて
今の不幸なこの境遇は、家庭環境のせいよ!親のせいよ!

そう誰かの、何かのせいにすることで自分を保っていたような気がする。

でも、何も変わらないのだ、結局。

怒りも憎しみも、それは自分を結局苦しめるだけで状況は何一つ変わらない。

誰のせいでもないのだ。

そう思えるまでにかなり時間がかかった。

自分との闘いだった。

どんな境遇にあっても、
自分らしく輝き、自分の道を見つけて生きていくことはできる。

何を選択するかは自分次第なのだ。

親も人間、
親は親、私は私。

親とはいえ、分かり合えないものは分かり合えないと、割り切っていた方がきっと楽。

やっと今ではそう思えるようになった。

あんなに煮えたぎっていた負の感情も、
全く消え失せたとは言わないが
うまく自分の中で気持ちの整理をつけることができるようになった。

変えられないものを憎むより
自分で変えられることを大切にしようと思う。


親も年を取った。

父親とは未だにほとんど会話はない。

もやっとした気持ちがないわけではないけれど

今更、話し合うことも打ち明けることもさらけ出す必要もないだろう。

もう、疲れたし。そういうの。


いろいろあって、
またこれからもいろいろあるんだろうな。

少しでも穏やかな私で、
いられたらいいなぁ。