哲学的思考は
天賦の才能なんだそうだ。

誰にでもできることではないそうだ。

人は、哲学をするということから
哲学には、入れない。

知らず知らずのうちに、存在の謎を追い求めてる。
いつの間にか、考え抜く癖がつている。

そういうのを、哲学的思考という。

私には、それが与えられているようだ。

気が付くと思索している。

もうずいぶん、長いこと。

インターネットのあまねく普及は、

人の生活を便利にはしたが、
では、便利になることで人は賢くなるかといったらそうではないと知った。

飛躍的に科学技術が進歩することはなるほど人類の為にはなる。しかしそれによって人は賢くなるかといったらやっぱりそこは等しくはならない。

印刷機の発明で、聖書があまねく人類に読まれるようになった。確かにそれは、いいことだ。

でもそれによって人が考えるようになるか、
いや違う。

やっぱりそうなんだな、
便利になることと人が賢くなることは繋がらない。

天体望遠鏡のおかげで、遥か彼方の遠い星が
自宅にいながらにして見られるようになった。

確かに素晴らしい、いいことだ。

で、だから?

受けとるだけなら、猿でもできる。

要はそういうことだ。

なるほど、便利にはなった。
しかし今の世界を見たら分かるけど

インターネットの弊害があちらこちらで。

一方、考えることは、能動だ。何もないところから、自ら身を起こすことだ。

しかし、情報は。それらは受けとるだけだから、あとは流すだけだ。

私たちは、考えなければ

猿と同じになるということだ。

ネット上の罵詈雑言は
便所の落書きよりある意味もっとひどいと

私個人はそう感じている。

個人は特定されたくない癖に、

私を見てー!の自己顕示欲が酷すぎる。

内省が、足りない。考えて考えて、考え抜いていると

外のことなどどうでもよくなる。自分を内観、内省すると宇宙の底が抜ける。

「私」を越えて、向こう側に出る。

だから、考えるっておもしろい。