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マイク・シノダが言っていたそう。 「誰かとチェスターを交換するなんてことは考えたくもない」 私も時々、リンキンパークの復活を願うことがありますが、 (特に車の中でNumbやIn The Endを聴いているときなどは) やっぱりチェスターがいないとなるともう、難しいですよね…(泣) 唯一無二でしたから、チェスターの声は。 私は、「ソウル」を感じる歌声のアーティストが好きです。 「スピリット」でも「ハート」でもなくて、「ソウル」です。 魂、心、そんな具合の意味合いがこもってます。 声、というのは指紋や目の虹彩のように、 その人個人の、特有のものだ。 自分にとって、心地よい声、音、というのがあります。 私は、宇多田ヒカルさんの歌声も、 聴いていて心地よくて大好きです。 男性アーティストで、私はあまり好きになる人はいなかったけど、チェスターの声は格別かな。 セクシーで男らしいのに、繊細な歌声ですよね。それでいて、あの壮大な世界観、リンキンパークの楽曲をパーフェクトに歌いこなす。マイク・シノダの歌声ももちろん、素晴らしい。あの二人のボーカルがあってこそのリンキンパークだ。代わりはいない。大学時代はそれこそ毎晩のように聴いて、惚れ惚れしていたものです。初恋の味わいのようだった。声に抱かれる、といった感じ。私は昔から、想像力豊かでした。 アルバムを5枚くらい車に常備してて、元気でないときはガンガンかけて、エネルギーをもらっています。いまだに、彼らに助けられている。アーティストって、偉大。重厚なギターのサウンド、物語や詩にも似た歌詞の閃きは何だろう、例えば本を読んでいてあまりに美しい1文を目で追っている時に感じる高揚感にも似ている気がする。アドレナリンの放出を感じる瞬間。 美しい言葉の群れは目で見るもの、 一方耳で聴く音楽、心揺さぶる美しいサウンドも、 どちらも感受に激しく訴えてくるものであります。 不思議なことに、言葉は、哲学は、真理は、必ず理性を経て、考えられなければ理解できないはずのものなのに、 私は時々「言葉による文章」を読んでいて、まるで音楽を聴いているときのように、まるごとその文章を感受の方で受け止めているな、と明らかに自覚するときがありまして。 凝縮された真理を語る詩や散文というのは、理性や理屈で(つまり脳みそで)理解するのではなく、むしろ、感受の方(つまり心)がいったんその感動を捉えるのかもしれません。 こんな考えが芽生えて以降、 実は言葉も音楽も同じ芸術と言えるのではないか、と考えることが多々あります。 ここに関しては、まだ私も考えている途中なのでまだまだこれから考えていきたいと思っています。 まぁどちらにせよ、私の中で チェスターは初恋の人です。 なので今でもずっと、彼のこと、彼の歌声に恋している。 #リンキンパーク #チェスター #マイクシノダ #ソウルフルな歌声 #宇多田ヒカル #モンスターバンド #大学時代の思い出 #感受と理性 #言葉と音楽 #初恋の人 #芸術について #Numb #intheendlinkinpark

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