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だいたい、私の考え事が始まるのは、 車に乗っているときが多いです。 多分、一人の空間になるからだと思う。周りに人がいては、また騒音があっては、考えることに集中することができないから。 しかし、そういうときに考える事というのは、重たいニュース、暗いニュース、そういうことについて、というのが多い。 だいたいが、 「どうしてあんなことが起こるのだろう」とか、「何故人はああいったことができるのだろうか」とかそんな具合である。何故、どうして、という疑問がまず立ち上がり、私は私の考え得る範囲で何とか対象の事件や事実を理解しようと努力する。もっとも、専門的に犯罪心理学等といった分野を勉強したことがあるわけではないので、どうしても素人なりにではあるけれども、分かりたい、理解したいと努力してみる。考えるということは、まぁそういうことである。 …もちろん、常人に簡単に理解できるようなものはニュースになんてなっていないからほとんどの事件は私の理解を超えている。率直な感想は、世の中、本当におかしな事ばかり起こっている。同じ人間が引き起こす事なのか。実際、そういう思いに駆られる事ばかりです。 そして次に、「何故、そんな世の中になったのか」ということに考えが移る。これはまぁなんというか、少し考えれば分かる事なんだけれど…。 ところで、物事を本質的に考えるとき、例えばそれが「世の中に起こること」であれば、それを突き詰めていくと、「善悪について」のところに当てはまるように思う。 最近毎日のように目にするニュースがあります。SNSで出会った未成年少女と、大人の男性が~、ってやつで、成人男性が逮捕されるニュースです。これ、最近本当に毎日見る。ウンザリする。もうこの手のニュース、見たくない。心が腐る。麻痺していく。そんな気持ちになりつつあります。実際、この手の事件はあまりにも起こりすぎているから、見る側も麻痺している人が多いのでは?と思います。ああ、またか。そんな感じになりつつあるのではないか。 何故、売春はいけないか。 この問題についてのこと、哲学者の池田晶子さんや心理学者の河合隼雄さんがこのように仰られています。 「悪いと分からない、その事が悪い。言うなればそれは魂に悪いと言うべきか。悪いと分からない、その事が悪い。それは誰にとっても悪くないが、お前にとっては大いに悪い」 善悪の基準は、常に自分の内にある。その針は常に振れているという。どうして身体を売ってはいけないのですか?と聞かれたとして。大人はどう答えたら子どもを納得させられるのか。これ、何と答えても難しいと私は思う。何故ならそんなことを聞くこと自体、それをするのが何故悪いか、本人は分かっていないからだ。外から禁止されているから、 ルールでダメだと決められているからそれは悪なのだ、やってはいけないのだ…そんな風に怒って無理矢理説得しても、恐らく本人は納得しない。それなら隠れてやればいい…とすら、思うかもしれない。 やってはいけないからしない、ではなく、やりたくないからしない。そうでないと、人は悪いことでもするだろう。自分の内にある善悪は絶対である。好き好んで悪いと分かっていることをする人間はいないので、売春にしても殺人にしても、本人にとって、それは良いと思っているからするのだろう。だからやはり、言えるとしたら先程の、 「悪いと分からない、その事が悪い」、 そう言うしか無いような気もする。 だから自由にさせるしかないのだ、何を言っても結局は、自分によいと思うからするわけで、それを外から禁止しても、何故それが悪いのか分からないのだから、隠れてでもする子はするのだろう。…と、そんな風にも池田晶子さんは書かれていたけど。そうはいっても、年頃の子を持つ親や教育者は、「お前の好きなようにしろ」、とはなかなか言えないよなぁ、とも思う。 しかしながら教育。やっぱり「心の教育」、心を育てることが大切なんじゃないかと私なんかは思います。人間の本質的な問題。お勉強だけを教えるのではなく、本当に大切なことを一緒に考える。命は何故大切か。大人とて、分からない命題だ。だから「教える」のではなくて、いかに自分も知らないということを話して、一緒に考えてみる。とことん。常日頃から。それしかない気がするのですが。そして命に対する畏怖の念に気が付くと、自分の命(身体も含め)、そして他人の命を大切にするようになるのではないか、そんな風に考えるのです。 #考えることの大切さ #考えること #社会問題 #善悪の判断 #善悪について #倫理と道徳 #命の教育 #哲学 #池田晶子 #河合隼雄 #本当に大切なこととは #無知の地 #分からないことを考える

山崎美由紀(@miyuki_yamasaki_nagiyume)がシェアした投稿 -