昨日、ふと思った。

 

「私たちは、こころの内をトコトン

 話しきったことがあるのだろうか?」

 

「話を聞ききってもらえたと思える程、

 トコトン聞いてもらったことがあるのだろうか?」

 

「トコトン話しきって心の器が空っぽになった。

 と感じる経験をしただろうか?」

 

 

いづれも答えはNOだった。

 

 

友人との会話や夫婦の会話、親子の会話

どれを振り返っても

 

「話しきった」

もしくは

「聴ききった」

 

と思える記憶がほとんど無い。

 

 

大抵が、話を聞いて欲しいと思い

話を始めても

相手は、上の空か

話の途中で言葉を差し挟んでくる。

 

 

「それって、こういうことでしょ?」

「こうしたらいんじゃない?」

 

と話の途中で言われる。

 

「そうじゃなくて・・」

「言いたいことは他にある・・」

「まだ話しきっていないよ・・」

 

そう反論したくてもできない。

 

 

「よかれと思って」

言葉を差し込んでくるので

 

「もういいか・・」

「これ以上話をしても無駄・・」

 

と諦め

話は中断し、話しきれないまま

もやもやを抱えたまま、終わる。

 

聴き手は大抵の場合、

そのことに気がついていない。

 

 

自分に置き換えて考えてみると

言葉を差し挟むのは

 

「よかれ」ではなく

 

「聴くのがしんどい、面倒」

「聞き続けるのが苦痛」

だから

「早く話を切り上げたい」

からなのではないかと気づいた。

 

 

相手に

「話きってもらう」

自分が

「話を聴ききる」

 

のは、片手間ではできなく

覚悟のいることなのだと

改めて思う。

 

けれど、

心の内を邪魔されず、話しきった時

 

心の器が空っぽになり、

もやもやが晴れ、スッキリする。

 

そして

自分で自分の想いに

気づき、納得し、

 

「ああ、そうだったのか!」

と腹落ちし、

自分の意思で前に進んでいけるのだ

と思っている。

 

 

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