昨年、「親ガチャ」という言葉が流行りました。

 

「子どもは自分の生まれた環境を選べない。

親を選べない

ガチャのように当たり外れがある。」

 

そんな意味合いだったと思います。

 

 

確かにそうかもしれないけれど、

この言葉を聞いて気持ちがザワザワした方は

多いのではないでしょうか?

 

 

大人になって、自分の日常生活が忙しく

親との関係に距離があり、考えることもない。

30代、40代ではそういう方がほとんどだと思います。

 

 

私もそうでした。

考えなくて済んでいた。いえ、考えようとしなかった。

それでなんとか乗り切ってきたのです。

親も若かったし、老いはまだまだ先のことでした。

 

 

私の場合は、

親との関係が悪い訳ではありませんでした。

 

東京の大学に行きたいといえば行かせてくれたし

卒業後、就職しないで結婚したいと言えば、

戸惑いながらも反対はしませんでした。

 

 

結婚後26年。48歳で離婚した時も

「あなたが決めたことだから。。」

と認めてくれたのです。

 

 

「親ガチャ」でいえば「当たり!」なのでしょう。

 

 

そんな私でも60代になり、

親の老いを感じるようになり

親の老いと向き合う中で、

親との関係に改めて向き合わざる

おえなくなりました。

 

 

相談をうけてきた方の中にも

 

「親の老いを感じ、介護も現実的になる中で

子ども時代の親との葛藤が再度顔を出してきてしんどい。

 

 

親を大事にしたい。親の助けになりたい。と思うけれど

一方で、子ども時代の親との葛藤が思い出される。

 

 

「いつも否定ばかりされ、認めてもらえず、

すごく傷ついたことを今でも忘れていない」

 

「いつも、自分の思い通りに私をコントロールしよう

としていたのが息苦しかった」

 

「そもそも母親(父親)とは相性が悪かった」

 

そんなことをおっしゃる方が多くいらっしゃいます。

 

 

親の老いと向き合う中で

親との関係で

昔の子ども時代に還り、向き合う必要に迫られ、

苦しいと感じているのです。

 

 

親の為と思い、実家に帰ったけれど

「ケンカばかりして、同居を解消した」

という方もいらっしゃいます。

 

 

過去の自分と今更向き合うのは

辛いししんどい。

そうだと思いますし、

無理に向き合う必要は無いと思っています。

 

 

けれど、どうしてもそこがネックになっていると

感じるなら、

トコトン向き合うのもありだと思うのです。

 

 

過去の出来事、特に子ども時代の出来事は

自分なりの解釈が入って、

歪曲されていることも多い。

 

 

「何故、自分がそう思うのか?

そんな行動をとるのか?」

 

 

向き合って見ると気がつくこと、見えてくることがあります。

 

「なんだ!そうだったのか!」と

スッキリすることも多いのです。

 

 

それには3つの理由があると思っています。

 

 

ひとつ目は

話すことでゴチャゴチャした頭の中が整理されること。

 

ふたつ目は、

俯瞰してみることで、違う視点からとらえられ、

出来事の解釈が変わること。

 

 

みっつ目は、

あのことがあったから今の自分がいると

悪いことばかりではなく中庸的な

視点でみられるようになること。

 

 

親の老いに向き合うことは、

自分に向き合い

自分に還ることなんだ・・・と

改めて感じています。