近頃の発達障害児童の支援施設の豊富さを知り、羨ましいな〜と思った。
今の子は沢山の選択肢があって本当に良いね。
ネットのニュースなんかでも発達障害のニュースが気軽に出てくるようになっていて、それだけ周知されるとありがたい反面、発達障害者は更に増えていくのかな?と邪推したり。
症状も色々と細分化されて傷病名だけではなく症状名?も増えているようで。
発達障害が社会において気軽な存在になっていく事は、当事者としてはありがたいけれど、
若い親たちが障害のある子供と向き合わなくてはいけない事は変わらないよな、気軽に受け入れるのは難しいよなあ、としみじみ。
うちの子なんだか普通じゃなさそう…
と思ってから、実際に然るべき機関を経て診断され子供の障害を知るまでは、意外と時間がかかる。
その間数年程あったりもして。
そのあいだ親はインターネット等で様々な不安な情報を集め、そのインターネット上で極端な差別意識を目の当たりにし、何とかならないかと藁をもすがる気持ちで情報を集め続ける。
周囲にその不安を漏らしたら、あっという間にハイエナのように詐欺まがいの商品紹介や、詐欺まがいの宗教が群がってきて鬱陶しい。
そして当の本人や親よりも、祖父母が詐欺に囲まれると、孫の為と言いなりになりがちなのが恐ろしい。
不安な人に異常に説教をしたい人も現れる。
老若男女拘らず、のべつ幕なし。
これまでの経験で言うと、親から見てちょっと怪しいかな〜と思う位の子は大体発達グレー程度で、どちらとも言えないから様子見という対処をされるのがまた辛い。
どう見ても奇っ怪じゃん!といううちの息子でやっと4才から就学前の間の長期様子見を経て6才で診断がついた。
15年前なのでそんなものかもしれないが、親としては訓練を受けたい気持ちと、障害を認めたくない気持ち。
どちらもあって、チグハグに揺れ動くものであった。
けれども育ちきった今だからこそ言えるが、診断に1年や2年のラグがあったとしても、その子に合った療育を受けられる環境ならば、1.2年のラグ等どうという事はないなと思う。
親が子供の困難に気付いてあげられる、各種機関に相談出来る、必要な療育を与えようという気概がある。
それだけで親として子供に十分向き合えてるし
、これからも向き合える親であると思う。
その環境ならば就学前診断で療育が染みていく可能性が十分あると思う。
ただ実際診断がついても、受け入れる事には親も本人も時間がかかる。
勿論、苦しみも伴うのは想像に難くない。
私が幼い息子に少年Aになる素質を感じて、それを警戒して育ててきた理由は、
何より息子の父親がそれに近い人間であった事。
そして育ってきた地域に暴力団関係者やチンピラが多かった為、人がどん底に落ちていく様をよく観察出来た事。
そして私自身が幼少期より活字中毒で、当時流行っていた海外の連続殺人犯や捜査官の手記、国内の死刑囚や弁護士の手記を根こそぎ読んでいた事もあると思う。
こんな可愛い幼い子がこんな犯罪者になるなんて…
を本の知識でも実経験でも目にしていた事で、障害自体の拒否感よりも、息子を重犯罪者にするわけにはいかない!という妙な使命感による受け入れ方をしたんだと思う。
それ故こんな子育ての仕方になったし、それ故こういう息子が出来上がった。
今では、障害のある子どもの育て方は、障害のない子の育て方とさほど変わらないと思っている。
まあ丁寧な子育てはしなきゃいけないかな、程度。
障害健常関係なく、結局親はみんなその子その子に合った育て方を模索していて、結局その育て方も親の考えによって全然ちがう。
親も子供も、得意な事と不得意な事がみんなちがう。
ただそれだけの事なのかもしれないなーと思ったりする。
(心に余裕がある時だけ。余裕が無い時は泣いたり落ち込んだり大変。)
そんな感じで、受け入れる親の気持ちも個人差があって当然だし、子供自身が障害を受け入れられる時もみんなバラバラだと思う。
いつかは親も子も現状に納得するしかない時がくる。
その時に、どれだけの味方を作っておくか。
これが今後を左右すると思う。
使える機関、使える制度、全て味方につける!
それが家族の未来につながっていく。
これは絶対と言っていい。
今は難しくても、受け入れた時に動けばいい。
そうして、子供にとって最善と思う居場所を探していければいいんじゃないかな、と思う。
そういう意味では、現代のこの気軽に発達障害を扱う感じも決して悪くはなくて、
段々と増えていく発達障害の人々でも、普通に働いて暮らせる社会に移行していったら良いんだけどなあ〜と未来に思いを馳せる。