阪神・淡路大震災から26年。
あなたはあの日、どうしてた?
わたしは神戸のアパレルメーカーに勤めていました。
阪急沿線に住んでいて、その日も、普通に出勤するつもりで、クレイサスのスーツに14センチヒールを履いて、駅まで行って、電車が動いてなくてうちに帰りました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20150117/21/motezo/32/c2/j/o0748089013192181643.jpg?caw=800)
神戸北野町にある、大好きなブランドに転職したばかりだったけど、震災で会社を辞めることになり、その後も、大阪にあるアパレルメーカーに契約デザイナーとして勤めますが
この震災はわたしにとって、デザイナーから作家に転身するきっかけになった出来事だったと思います。
自分がずっとやっていくと思っていた仕事を手放さざるを得なくなったり、方向転換せざるを得なくなること
まさに今も、コロナでそんな状況にあるひとがたくさんいると思います。
それは一見、アンラッキーでしかないのだけど、長い目で見たらあれが転機で・本当の天職といえるものに出会うこともあるのかもしれません。
わたしはコレクションデザイナーになりたいと思っていました。
小さな会社で契約デザイナーをしている今の状況が、そんな華やかな道につながってはいないことに本当は気づいたけど、みて見ぬふりをしていました。
デザイナーから作家へというとなんとなくかっこいい転身のようですが、デザイナーから一足飛びに作家になれたわけでは全くありません。
勝手に恋愛相談に答え、やってみたら、ひとの相談を受けることに向いていたらしくその掲示板で人気になり、そこでであったひとたちとメールマガジンを発行することになり、メルマガ発行者仲間とビジネス系メールマガジン発行者さんを応援していたら、そのご縁から出版オファーが来ました。
実はこれもかなり端折って書いています。
自分の発信したことばで、メルマガ読者さんが何人になるか、本が何部売れるか、感想をいただけるか、どれくらいいいねがつくか、ダイレクトにわかる世界に来て、ああ、わたしは確かな手応えが欲しかったのだと気付きました。
アパレルの世界は自分の商品がどれくらい売れたか自分にはわかりません。
いま、理不尽な思いをしているひとも、ここをなんとか乗り切りましょう。あなたの可能性は、いま絶たれたこと以外すべてです。
ひとの生き抜く力は、捨てたもんじゃありません。
乗り切ろうね!
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