砂の美術館 D-K Live(デジタル掛け軸) 回顧録2
はい、続きです。
前回はこちら
砂の美術館特別クリスマスアートプロジェクト。
第4期展示 「砂で世界旅行・アフリカ~偉大なる大陸の歩みを訪ねて~」
D-K Live(デジタル掛け軸)
[砂の美術館]とは
「世界が尊敬する100人の日本人」(NewsWeek日本版)に選ばれた
砂像彫刻家兼プロデューサーの茶圓勝彦氏が毎年海外各国から砂像彫刻家を招き
2006年11月18日に鳥取砂丘に「砂の美術館」を開館。
日本で唯一砂を題材にした彫刻作品を展示する野外美術館。
[D-K Live(デジタル掛け軸)]とは
世界中の遺跡や歴史的建造物をキャンバスにしてに映し出されるデジタル映像。
といったら語弊を招くかもしれないので、以下作者である長谷川章氏の言葉を引用
__________
D-Kは音のない音楽であり、一期一会の沈黙である。
ただ心を開いて静かに耳を傾け、水と光の砂の神秘を捉えたまえ。
D-Kがもたらす色即是空(しきそくぜくう)は新たなるものの永住であり、
幻をみることでもなく感性を刺激するものでもない。
D-Kはすべての行為の源となり精神を自由にする。
その時、自由と無限空間、万物生減流転の世界観を捉える。
あなたが、あなた自身に帰るときです。
[中略]
夕焼けのうつろい、俳句の間、書に見えかくれする色、音の間、時の間。
すべてその場に無いものを捉えて楽しむ、日本のアートスピリットに出会うもの
あなた自身の中にすべてあるものである。無いものは知覚出来ない。
D-Kは一見絵画的な、知覚的要素に見えるが、連続する意味の軌跡、
つまり語的物語りによるコミュニケーションとは違う新しいカテゴリーである。
そして「今ここに生きている」ことを実感させるsensitizing instrumentである。
この映像には何も意味もない、何も連続していない。
___________
今回砂像とのコラボレーションは初だそうだが、長谷川章氏の過去の作品には
ザルツブルグ、京都二条城、伊勢神宮、、と様々。
砂像はというと僕もメディアなどを通して展示されているのは知っていたんだけど
正直言うと砂像にまったく興味がなくて(基本的に彫刻に興味がない)
う~ん・・興味がないというか、JAZZを聞かない人が「理由は?」と聞かれて
「別に理由はない」と答えるのと同じで、そう、理由はない。
だけど今回アフリカがテーマということで適度に3ミリほど気にはなっていて
今までいっぺんも見たことのない砂丘イリュージョンをいっぺんぐらい見とこうと
思ったついでに近くの砂の美術館D-KLiveを調べてみたところ
たまたま最終日で、たまたま閉館まであと4時間だったので
行くことにした。500円で見れるし。
500円ならハズレでもまぁ何とか、かんとか、損とか、ないかなとか。
でも結局入ると決めたのは閉館45分前で駐車場入り口前10メートルになってから。
こういう時ビビッとくるんですよね。
「あ、この空気は見なきゃダメなパターンだ」って。

入口ではゴリラがお出迎え。
階段をあがると大きなテント。中に入ると・・

手前砂像タイトル「ザンベジ川の探検」
砂像作者 リチャード・バラノ(アメリカ)
1855年、アフリカ南部の凶暴なナイルワニが生息するザンベジ川を探検する
リヴィングストン一向。この時ヴィクトリアの滝を発見し世界的に知られる。
命名の由来は当時の英国女王の名から。
入った途端に「ん?これだけ??」と拍子抜けしてしまった。
奥行き50mぐらいかな? でもなんだか変な気分。

「先住民と藁葺き家の村」アンガラン・デヴィット(ベルギー)
時間の経過を連結した写真。
そうなんです砂像に投影された映像が微妙に変わっていくんです。
プロジェクターだか映写機だかそんなものが
テント内にいくつかあって映像をゆ~っくり重ねては外しを繰り返している感じ?

「サファリ」ティモシー・ハンドフォード(イギリス)
スワヒリ語で「旅」を意味する「サファリ」
例えばこのサファリ探検の砂像が・・

2分ぐらい時間をかけてこう移り変わっていく。

「サファリ」サイの砂像での変化。
これはすごく短時間での変化。

「アフリカの野生動物」ブラッド・ゴール(アメリカ) カレン・フラリック(カナダ)
このゴリラとライオンとラクダとミーアキャットとヒョウとゾウなんかは
(どこにいるかわかります?)

こんな感じに変化。上の写真なんて密林の中にいるゴリラそのもの!
サルや鳥のけたたましい鳴き声が聞こえてきそう♪
画像だとどうしても説明しにくいんだけど
これが本当にスローテンポで変化していく為
「おぉゾウだ!あそこにカバもおる!」
なんて目線を他に移していると以前見た時と違う絵になっていて
だけども不思議なことに、何がどう変化したのかがわからない。
僕はコンデジで撮影しながら見ていたので
以前撮った写真をその場でプレビューしてみて
初めてどこがどう変化したのかがわかるわけだ。

このカバ、イボイノシシ、フラミンゴ、シマウマ、ガゼル?なんかは

こうなって

こんなに変化する。
ついつい光のアートの方ばっかりに持ってかれちゃうんだけど
砂像もかなりハイクオリティで、サファリのとこのサイの醸してる空気なんて
テレビで見るアフリカよりもある意味リアル。

「鉱山の様子」ケビン・クロフォード(オーストラリア)
1860年代のゴールド・ラッシュの様子

「ネルソン・マンデラ ~新しいヒーローの誕生~」アレクセイ・シチトフ(ロシア)
反アパルトヘイトに取り組みノーベル平和賞を受賞したマンデラさんの砂像。
アフリカだからといって動物ばかりでなく、記念碑的砂像もちらほら。
で、
作品はいいんですけど・・すごく気になったのがBGM。
一応テントの中ではあるものの出入り口は開きっぱなしなので寒いし、
たまに風がテントをガボガボゆする。
これだけなら「アフリカで野営してるみたいじゃん!」ってな感じで良いんですけど
それに混ざって微かに耳にこびり付くBGM。
当たり障りの無いクラシックがエンドレスで流れてる。
「どうせならフリージャズとかアフロとかアンビエント流せばいいのに」という発想すら
何だか馬鹿げてるというか安易な気がする空間の中でこれは気になった。
作者の意図としてはおかしいし・・。
「無音はさすがにないだろ~」っていう美術館側の意図なのかな??
わかんない。誰か教えて。
普通の美術館でもよくBGM流してるとこありますけど、あれいらないんですよねぇ。
想像力をバカにしてる気がして・・・・。





さてもう気付いてる方もいらっしゃると思われるが、これ同じ模様がないんです。
映像の仕組みで同じ模様は二度と見る事が出来ないそうです。
これ音楽と一緒ですね。
物を作るって行為のそこがしびれます、僕は。


計算された映像の重ね方、一期一会の空間。
この構成は本当にやられたな~と思いました。
上に書いた長谷川氏の言葉が書かれている会場パンフはあえて見ずに中に入ったのだけれど
(というか読んでる時間がなかった)
今こうやって字に起こしながらその言葉を読み解いていくと
実際展示を見ていた時の、無心というか何も感じない気持ちとリンクするわけです。
徐々に変化していく光景にしばらく気づかない。
これが作者の言う全てを含んでいて、わずか学校の体育館半分ほどの空間の中なのに、
その場にいればいるほど入った瞬間の「なんか狭くない?」という感覚を奪っていく。
広がっていくのは場所の大きさではなくて、感覚だ。
言葉にできない心だかどこだか知らない部分が時間の経過と共に広がっていく。
こういう体験は中々ない。
すごく思い浮かべやすい表現をすると
「あれ?子供ライオン少し動いた?」というような錯覚に囚われる感じ。
飽くまでこれはわかりやすく表現しただけなので
無心でいれば、たぶんそんな感覚は超えていける。
ここからはD-Kとは別のテント外部の砂像展示。

「ゴリラの森 ~密猟の悲しい歴史~」イリヤ・フィリモンツェフ(ロシア)

「アフリカのアート文化」サンディス・コンドラッツ(ラトビア)
D-Kとのコラボを見た後なので、どうしても通常のライトアップに
物足りなさを感じてしまうのだけど、これはこれでくるものがあります。
ここでの砂像というのは純粋に砂と水だけで製作されていて、
つまりいつ崩壊するかわからないし、同じものを作る事ができない。
鳥取は気象的に砂像製作に不利な環境で、確か今年も一部暴風で崩壊したような。。
上の「ゴリラの森」の砂像はゴリラとその天敵である人間との関係を表現しています。
紛争によって難民がうまれ、ゴリラが食料となる。
他にも森林伐採、農地拡大で住みかを追われる。
更には止むことのない密猟。
こういうのを見ると砂像がただのアート作品ではなくて
何かを伝えるための一つの方法とも解釈できる。
材料が砂、水と限定されているだけにギミックなしで
ダイレクトに伝わってくるところがあるんじゃないかと思いますね。


展望台にはこんなイルミネーションも。写真で3割増し(汗)
正直「キレイ~♪」なんて言ってる余裕ゼロです。
鼻水限界。
お客もワタス一人になり警備の人からマンツーマンマークされ始め
無言の「はよ帰れ」コール。
でも、やっぱりまだ見たいってことで
もう一度中へ♪


さっきと全然雰囲気違うし!?
ずっとここにいたい程ハマってる自分。


今回一番気に入った映像と砂像。

この微妙な変化。「さっき見たやつだしもういいや」とならない不思議。
「次はどうなるんだろう?」というワクワクが無限に続くので
「もう帰ろう」のスイッチが入らない。でももう閉館時間。

後ろ髪引かれながらも退場。
2010年最も持っていかれた体験でした。
やはり何かを感じるときには無駄な前知識は入れないほうがいい。
動物園で初めてライオンを見たときの
「何だキサマは、何なんだその体毛は、なんだその目つきは!?」という感覚。
もう前知識ありすぎで驚く事の出来ないものが多くなったけど
幼児がシャボン玉を初めて見て、驚きのけぞった後、凝視して、楽しみだす瞬間。
あぁいう背中合わせの部分ってやっぱり最高に気持ち良い。
恐れ、驚き、喜び、高揚、永遠、無常
こういうのってやっぱり表裏一体なのかなぁなんて思います。
僕にとってのそれは音楽制作なので
これからも表現をするこは止めないでしょう。
長くなりました。
最後まで読んでくれてどうもありがとう。またね。
今日の一曲
TheDoors - TheEnd 1stアルバム[TheDoors]収録
60年代のお騒がせセックスシンボル、ジム・モリソン率いる
米サンフランシスコのサイケデリックロック番長。
ロックの伝説的人物の中の一人によくあげられます。
詩的でセクシーでめちゃくちゃでボロボロ。
映画「地獄の黙示録」のテーマ曲にもなった作品。
詞がとても意味不明なんだけど、意味不明でよい。
ディランの詞にしてもモリソンの詞にしてもあまり深く勘ぐらなくて
いいじゃないか。詞ってそういうもんだ。
ちなみに今回の記事である砂の美術館とすごく合います。
その場では思いつかなかったので結局何も聞かなかったんだけど
今思い出すとあの場で聞いてみればよかったなぁと思う。
D-K Liveのイメージとも合致するし。
音楽も聴く環境で無限に姿を変えていくからね。
それ探すの楽しいんだ。
自分の曲もそうあって欲しいと思うのだ。
前回はこちら
砂の美術館特別クリスマスアートプロジェクト。
第4期展示 「砂で世界旅行・アフリカ~偉大なる大陸の歩みを訪ねて~」
D-K Live(デジタル掛け軸)
[砂の美術館]とは
「世界が尊敬する100人の日本人」(NewsWeek日本版)に選ばれた
砂像彫刻家兼プロデューサーの茶圓勝彦氏が毎年海外各国から砂像彫刻家を招き
2006年11月18日に鳥取砂丘に「砂の美術館」を開館。
日本で唯一砂を題材にした彫刻作品を展示する野外美術館。
[D-K Live(デジタル掛け軸)]とは
世界中の遺跡や歴史的建造物をキャンバスにしてに映し出されるデジタル映像。
といったら語弊を招くかもしれないので、以下作者である長谷川章氏の言葉を引用
__________
D-Kは音のない音楽であり、一期一会の沈黙である。
ただ心を開いて静かに耳を傾け、水と光の砂の神秘を捉えたまえ。
D-Kがもたらす色即是空(しきそくぜくう)は新たなるものの永住であり、
幻をみることでもなく感性を刺激するものでもない。
D-Kはすべての行為の源となり精神を自由にする。
その時、自由と無限空間、万物生減流転の世界観を捉える。
あなたが、あなた自身に帰るときです。
[中略]
夕焼けのうつろい、俳句の間、書に見えかくれする色、音の間、時の間。
すべてその場に無いものを捉えて楽しむ、日本のアートスピリットに出会うもの
あなた自身の中にすべてあるものである。無いものは知覚出来ない。
D-Kは一見絵画的な、知覚的要素に見えるが、連続する意味の軌跡、
つまり語的物語りによるコミュニケーションとは違う新しいカテゴリーである。
そして「今ここに生きている」ことを実感させるsensitizing instrumentである。
この映像には何も意味もない、何も連続していない。
___________
今回砂像とのコラボレーションは初だそうだが、長谷川章氏の過去の作品には
ザルツブルグ、京都二条城、伊勢神宮、、と様々。
砂像はというと僕もメディアなどを通して展示されているのは知っていたんだけど
正直言うと砂像にまったく興味がなくて(基本的に彫刻に興味がない)
う~ん・・興味がないというか、JAZZを聞かない人が「理由は?」と聞かれて
「別に理由はない」と答えるのと同じで、そう、理由はない。
だけど今回アフリカがテーマということで適度に3ミリほど気にはなっていて
今までいっぺんも見たことのない砂丘イリュージョンをいっぺんぐらい見とこうと
思ったついでに近くの砂の美術館D-KLiveを調べてみたところ
たまたま最終日で、たまたま閉館まであと4時間だったので
行くことにした。500円で見れるし。
500円ならハズレでもまぁ何とか、かんとか、損とか、ないかなとか。
でも結局入ると決めたのは閉館45分前で駐車場入り口前10メートルになってから。
こういう時ビビッとくるんですよね。
「あ、この空気は見なきゃダメなパターンだ」って。

入口ではゴリラがお出迎え。
階段をあがると大きなテント。中に入ると・・

手前砂像タイトル「ザンベジ川の探検」
砂像作者 リチャード・バラノ(アメリカ)
1855年、アフリカ南部の凶暴なナイルワニが生息するザンベジ川を探検する
リヴィングストン一向。この時ヴィクトリアの滝を発見し世界的に知られる。
命名の由来は当時の英国女王の名から。
入った途端に「ん?これだけ??」と拍子抜けしてしまった。
奥行き50mぐらいかな? でもなんだか変な気分。

「先住民と藁葺き家の村」アンガラン・デヴィット(ベルギー)
時間の経過を連結した写真。
そうなんです砂像に投影された映像が微妙に変わっていくんです。
プロジェクターだか映写機だかそんなものが
テント内にいくつかあって映像をゆ~っくり重ねては外しを繰り返している感じ?

「サファリ」ティモシー・ハンドフォード(イギリス)
スワヒリ語で「旅」を意味する「サファリ」
例えばこのサファリ探検の砂像が・・

2分ぐらい時間をかけてこう移り変わっていく。

「サファリ」サイの砂像での変化。
これはすごく短時間での変化。

「アフリカの野生動物」ブラッド・ゴール(アメリカ) カレン・フラリック(カナダ)
このゴリラとライオンとラクダとミーアキャットとヒョウとゾウなんかは
(どこにいるかわかります?)

こんな感じに変化。上の写真なんて密林の中にいるゴリラそのもの!
サルや鳥のけたたましい鳴き声が聞こえてきそう♪
画像だとどうしても説明しにくいんだけど
これが本当にスローテンポで変化していく為
「おぉゾウだ!あそこにカバもおる!」
なんて目線を他に移していると以前見た時と違う絵になっていて
だけども不思議なことに、何がどう変化したのかがわからない。
僕はコンデジで撮影しながら見ていたので
以前撮った写真をその場でプレビューしてみて
初めてどこがどう変化したのかがわかるわけだ。

このカバ、イボイノシシ、フラミンゴ、シマウマ、ガゼル?なんかは

こうなって

こんなに変化する。
ついつい光のアートの方ばっかりに持ってかれちゃうんだけど
砂像もかなりハイクオリティで、サファリのとこのサイの醸してる空気なんて
テレビで見るアフリカよりもある意味リアル。

「鉱山の様子」ケビン・クロフォード(オーストラリア)
1860年代のゴールド・ラッシュの様子

「ネルソン・マンデラ ~新しいヒーローの誕生~」アレクセイ・シチトフ(ロシア)
反アパルトヘイトに取り組みノーベル平和賞を受賞したマンデラさんの砂像。
アフリカだからといって動物ばかりでなく、記念碑的砂像もちらほら。
で、
作品はいいんですけど・・すごく気になったのがBGM。
一応テントの中ではあるものの出入り口は開きっぱなしなので寒いし、
たまに風がテントをガボガボゆする。
これだけなら「アフリカで野営してるみたいじゃん!」ってな感じで良いんですけど
それに混ざって微かに耳にこびり付くBGM。
当たり障りの無いクラシックがエンドレスで流れてる。
「どうせならフリージャズとかアフロとかアンビエント流せばいいのに」という発想すら
何だか馬鹿げてるというか安易な気がする空間の中でこれは気になった。
作者の意図としてはおかしいし・・。
「無音はさすがにないだろ~」っていう美術館側の意図なのかな??
わかんない。誰か教えて。
普通の美術館でもよくBGM流してるとこありますけど、あれいらないんですよねぇ。
想像力をバカにしてる気がして・・・・。





さてもう気付いてる方もいらっしゃると思われるが、これ同じ模様がないんです。
映像の仕組みで同じ模様は二度と見る事が出来ないそうです。
これ音楽と一緒ですね。
物を作るって行為のそこがしびれます、僕は。


計算された映像の重ね方、一期一会の空間。
この構成は本当にやられたな~と思いました。
上に書いた長谷川氏の言葉が書かれている会場パンフはあえて見ずに中に入ったのだけれど
(というか読んでる時間がなかった)
今こうやって字に起こしながらその言葉を読み解いていくと
実際展示を見ていた時の、無心というか何も感じない気持ちとリンクするわけです。
徐々に変化していく光景にしばらく気づかない。
これが作者の言う全てを含んでいて、わずか学校の体育館半分ほどの空間の中なのに、
その場にいればいるほど入った瞬間の「なんか狭くない?」という感覚を奪っていく。
広がっていくのは場所の大きさではなくて、感覚だ。
言葉にできない心だかどこだか知らない部分が時間の経過と共に広がっていく。
こういう体験は中々ない。
すごく思い浮かべやすい表現をすると
「あれ?子供ライオン少し動いた?」というような錯覚に囚われる感じ。
飽くまでこれはわかりやすく表現しただけなので
無心でいれば、たぶんそんな感覚は超えていける。
ここからはD-Kとは別のテント外部の砂像展示。

「ゴリラの森 ~密猟の悲しい歴史~」イリヤ・フィリモンツェフ(ロシア)

「アフリカのアート文化」サンディス・コンドラッツ(ラトビア)
D-Kとのコラボを見た後なので、どうしても通常のライトアップに
物足りなさを感じてしまうのだけど、これはこれでくるものがあります。
ここでの砂像というのは純粋に砂と水だけで製作されていて、
つまりいつ崩壊するかわからないし、同じものを作る事ができない。
鳥取は気象的に砂像製作に不利な環境で、確か今年も一部暴風で崩壊したような。。
上の「ゴリラの森」の砂像はゴリラとその天敵である人間との関係を表現しています。
紛争によって難民がうまれ、ゴリラが食料となる。
他にも森林伐採、農地拡大で住みかを追われる。
更には止むことのない密猟。
こういうのを見ると砂像がただのアート作品ではなくて
何かを伝えるための一つの方法とも解釈できる。
材料が砂、水と限定されているだけにギミックなしで
ダイレクトに伝わってくるところがあるんじゃないかと思いますね。


展望台にはこんなイルミネーションも。写真で3割増し(汗)
正直「キレイ~♪」なんて言ってる余裕ゼロです。
鼻水限界。
お客もワタス一人になり警備の人からマンツーマンマークされ始め
無言の「はよ帰れ」コール。
でも、やっぱりまだ見たいってことで
もう一度中へ♪


さっきと全然雰囲気違うし!?
ずっとここにいたい程ハマってる自分。


今回一番気に入った映像と砂像。

この微妙な変化。「さっき見たやつだしもういいや」とならない不思議。
「次はどうなるんだろう?」というワクワクが無限に続くので
「もう帰ろう」のスイッチが入らない。でももう閉館時間。

後ろ髪引かれながらも退場。
2010年最も持っていかれた体験でした。
やはり何かを感じるときには無駄な前知識は入れないほうがいい。
動物園で初めてライオンを見たときの
「何だキサマは、何なんだその体毛は、なんだその目つきは!?」という感覚。
もう前知識ありすぎで驚く事の出来ないものが多くなったけど
幼児がシャボン玉を初めて見て、驚きのけぞった後、凝視して、楽しみだす瞬間。
あぁいう背中合わせの部分ってやっぱり最高に気持ち良い。
恐れ、驚き、喜び、高揚、永遠、無常
こういうのってやっぱり表裏一体なのかなぁなんて思います。
僕にとってのそれは音楽制作なので
これからも表現をするこは止めないでしょう。
長くなりました。
最後まで読んでくれてどうもありがとう。またね。
今日の一曲
TheDoors - TheEnd 1stアルバム[TheDoors]収録
60年代のお騒がせセックスシンボル、ジム・モリソン率いる
米サンフランシスコのサイケデリックロック番長。
ロックの伝説的人物の中の一人によくあげられます。
詩的でセクシーでめちゃくちゃでボロボロ。
映画「地獄の黙示録」のテーマ曲にもなった作品。
詞がとても意味不明なんだけど、意味不明でよい。
ディランの詞にしてもモリソンの詞にしてもあまり深く勘ぐらなくて
いいじゃないか。詞ってそういうもんだ。
ちなみに今回の記事である砂の美術館とすごく合います。
その場では思いつかなかったので結局何も聞かなかったんだけど
今思い出すとあの場で聞いてみればよかったなぁと思う。
D-K Liveのイメージとも合致するし。
音楽も聴く環境で無限に姿を変えていくからね。
それ探すの楽しいんだ。
自分の曲もそうあって欲しいと思うのだ。