11/6鑑賞

 

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小説『爆弾』1回目 、『爆弾』2回目、続巻『法廷占拠』1回と読んでいて、映画化されると知った時からずっと公開を楽しみにしていた。

 

ただ、キャストが発表された時も、鑑賞中も、鑑賞後も、ずーっと思っていたことがある。


私の中で、類家のイメージはやっぱりどうしても染谷くんなんだよな~。山田裕貴さんが悪いとかじゃないし、個性の強い類家を良い感じに演じられていて、それはそれで良かったんだけどね。


天パの髪型とか、顔や眼鏡やスーツや靴や体型なども含めた全体的な雰囲気とか、飄々としつつも人一倍色々なことが見えていて&感じていて、それらを俯瞰しつつもたぎるものを持っている感じとか、戦略的に挑発したり本音を見せるところとか、やっぱりどうしても染谷くんなんだよなぁ。(しつこいw)


なんで染谷くんを類家でなく等々力にしたのか、めちゃめちゃ気になる。


そういう見方からすると、染谷くんの等々力も良かったけど、小説での等々力の年齢設定が40歳だったから、そこもちょびっとしっくり来なかった。


でも、類家も等々力も、小説とは比較せずに映画でのキャラクターとして観ると全く問題なく、とても良かった!!


そしてこの作品の一番の肝である、佐藤二朗さんのスズキタゴサク。


確かに見た目や雰囲気はなんとなくしっくり来るけど、いわゆる福田組映画で見せるような佐藤二朗さん風味がどう出るか、ドキドキしてた。

 

正直なところ若干佐藤二朗さん風なところは感じたけど、それも含めてちゃんとスズキタゴサクだった😳


なるほど、実写だとこういう風になるのね!と思える存在感で、声色や表情や態度の強弱がすごく良かった。


特に、もらった帽子を脱いだ時のシーン(人と社会への希望を捨てた瞬間)と、最後に等々力に向けて言葉をかけたシーン(スズキタゴサクの心の形を見せる瞬間)は、まさにスズキタゴサクそのものだった。

 

本作に限らず、小説を映画化した場合の一番の違いは、登場人物達のそれぞれの背景や心情が、細かく丁寧に伝わる文章ではなく、俳優の表情やしぐさで表現されるところと、限られた尺でどこを取ってどこを削るかというところ。


それが脚本や監督や俳優の腕の見せどころであり、映画ならではのところでもありながら、やはりどうしても登場人物の背景や心情をあらわすピースが足りないため、小説と比べると弱くなる、という面がある気がする。


本作(小説)では、スズキタゴサクと直接的・間接的に関わる登場人物たちが、彼の行動や言動に揺さぶられて、次第に普段自覚していない心の奥底(心の形)が炙り出されていく様子がとてもしんどく、しかし各々がその心に直面して絶望を覚えつつも、最終的に希望を見出すところが、とても良かった。

 

一方で、完全に希望を捨て去って戻れないところまでいってしまったスズキタゴサクの闇の深さがどこから来るのか。希望を見出せた人達との違いはどこにあるのか。


スズキタゴサクと同じく、人も社会も馬鹿馬鹿しいと思っていても、それを憎み呆れ捨てるか、それを守り救い留まるか、その違いはとても大きい。


小説と比べると、それらの描写が弱い(少ない)のはどうしても否めなかったけれど、しかし、限られた尺と表現で、よく出来ているなぁと思った。

 

一方で、映像化された場合の見どころは、登場人物達の表情や声、そして舞台や出来事が視覚や聴覚でリアルに入ってくるところ。


自分のイメージとの比較が興味深いし、派手なシーンは迫力があるし、俳優さんの演技を見るのも楽しい。


好きな原作の映画化って、それが楽しみでもありつつ、作品によってはかなりガッカリするし、苛立ちすら感じてしまうところでもある。


本作は、そういう面ではイメージと違ったり、省かれた表現に少し物足りなさを感じたものの、とても良い仕上がりになっているなぁと感じた。


なんか偉そう😅😅😅

監督さん、俳優さん、ごめんなさいっ(o_ _)o

 

『法廷占拠』も映画化するのかなぁ。


こちらはスズキタゴサクが若干レクター博士っぽくなっててちょっとアレなんだけど🤣、前作『爆弾』の登場人物も出てくるし、後日譚として更に広がっているから、面白かったんだよね。


もし映画化されたら観たいなぁ🎶