9/29鑑賞

 

長年気になっていた本作。

 

2回ほど冒頭だけ観たんだけど「あっこれは気軽に観られるものではないな」と思ってなかなか観られず、この度やっときちんと鑑賞した。

 

ペルーの映画って初めてな気がする。アイマラ語という言葉も初めて聞いた。

 

まるでドキュメンタリーのような、アンデス山脈の高地での伝統的な生活の様子は、その風景も相まって、とても興味深いものだった。

 

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自然は美しくて壮大で、厳しくて残酷。

 

そんな壮大な自然の中では、人間なんて本当にちっぽけな存在。しかも、周囲に誰もいなく、年老いた夫婦のたった2人で生活してるときたもんだ。

 

神様を大切にし、動物と共に生き、昔のような気力体力はなくとも出来ることをして、2人っきりで協力しながらほそぼそと生きている姿に、敬意、微笑ましさ、そして心配や切なさや寂しさを感じた。

 

そんな2人の厳しくも穏やかな生活に、新年を迎えてから一転、立て続けに悪いことが起きてしまう。

 

中盤~ラストはとても辛かった…。

 

おじいちゃんとおばあちゃんの泣いている声が脳裏に焼き付いてしまった;;非常に胸が痛んだ。

 

2人のセリフ:

「神様 私たちはなんの罪を犯したのでしょうか」

 

もし神様がいるのならば、本当に、この2人になぜこんな試練を与えたのだろうか。あまりに惨い。

 

とは言え、神様とか以前に、このような生活にはいつか限界が来るというのも確かで…。

 

ラストのおばあちゃんの行動には、取捨選択なのか希望なのか、なんとも言えない切なさと強さを感じた。

 

それと共に、伝統的な生活が染みついてそれがアイデンティティとなっているおばあちゃんが、これからの生活でどんな思いをするのかと思うと、とても心配になった。

 

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観ていて思ったのが、監督は何を伝えたかったんだろう?ということ。

 

社会問題という意味で、ふと、日本の限界集落で暮らすご年配の方々のことを思った。

 

本作における、働かないと何も食べ物が無い、マッチひとつ買いに行くのにも命の危険があるなどの環境は、あまりに厳しすぎるけど…。でもきっと心情的にはそう変わりはないのかも。

 

文明の発展やグローバル化によって都会に人が流れること。それに伴って伝統文化が失われつつあること。都会と限界集落の間は断絶傾向にあること。

 

今でこそ衰退してしまったけれど、ずーっと昔からその集落で暮らしているご年配の方に、福祉の手が伸びづらく、若者も故郷に戻らず、とても厳しい生活をしていること。

 

きっと世界中のあちこちで同じような問題を抱えてるんだろうなぁと思った。

 

良い悪いっていう単純な話じゃなくて、経済的・社会的・心情的に解決の難しい現実問題であったり、ご年配の方を置いてけぼりにしている後ろめたさだったり、特に自身の身内がそのような状況にある方は、胸に突き刺さるものがあるんだろうなと感じた。

 

私はギリギリ昭和生まれだから、昭和時代の多少の不便さや活気づいてる田舎を経験しつつも、文明の発展やグローバル化による恩恵をたくさん受けている世代。

 

もともと都会近郊で生活しているのもあって、このような問題を肌で感じるような、目の当たりにするような機会はほとんど無いんだけど、自分が老いた時のことをふと考えたりすると、決して他人事ではないなと強く思う。

 

それに、文明の発展やインターネットの普及によってあまりにも便利になり過ぎて、なんかすごく疲れるし、生き物としてすごく不自然だなと思うことがたまにある。

 

あと、映画とか、カラオケとか、ゲームとか、ライブとか、遊園地とかの、デジタル技術をふんだんに使った娯楽を味わっている時。

 

電車/新幹線/飛行機に乗ってる時とか、高層ビル街にいる時とか、日本に似ているアジアではなく欧米にいる時とかの、文明の発展を実感する時。

 

これらの時に、ものすごい違和感を覚える瞬間がある。下手すると「そういうのを享受してる自分がきもっ!」て思う時すらある。

 

一体どういう心理からそう思うんだろう?不思議。

 

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伝統と発展、地方と都会、自然と人工、ご年配の方と若者。

 

ちょうど良いバランスとか、限度とか、そういうのが保てられればいいのにね。難しいね。

 

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