6/2鑑賞
女性のエクソシストものって、とっても珍しい!!!と思って観てみた。
本作は、お母さんがごく普通に娘・アンの部屋を尋ねるシーンで始まる。
微笑ましい光景が見られるのかと思いきや、すぐにギョッとする異様な雰囲気に…。
そこでガッツリ心を掴まれた。
それからアンは成長し、悪魔祓い訓練学校で、シスターとして患者さんのお世話などをして日々を生きている。
ある日、悪魔憑きの可能性有りということで入院してきた患者・ナタリーは、ぱっと見ごくごく普通の可愛い女の子。
入院処置となって心細いナタリーは、朗らかに接してくれたシスター・アンに懐き、アンも、そんなナタリーの助けになってあげたいと感じる。
日が経つにつれ、ナタリーは明らかに悪魔が憑いていると思われる行動や言動をとるようになり、症状はひどくなるばかりで、いよいよバチカン行きが検討され始める。
バチカン行き=悪魔憑きの末期症状の者が行く場所で、その多くが結果的に命を落としている
アンは、なんとかナタリーを助けたい一心で「修道女は看護の教育を受けるが司祭の領域である悪魔祓いを学ぶことは出来ない」という規則を超えて、悪魔祓いをすることになる。
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エクソシストものにあるあるの、エクソシスト自身の過去の闇を抉られ、しっかりと向き合い、受け入れることで、祓う力が強くなる的なお話。
自分の苦しみを聞いて、同調してくれる人がいること。
これってとってもありがたいこと。
自分の苦しみに向き合うこと。
これってとっても大切なこと。
自分が、自分の過去の行いをどうしても許すことが出来ないから、神に赦しを乞う。そして祈り続ける。
ってことは、自分が自分を赦せたら苦しみから抜け出せる。
すなわち「神とは自分のことなのでは?」って感じた。
あと、やはりエクソシストものを観るといつも思ってしまうこと。
「憑いた悪魔が祓えず、憑かれた人が亡くなる」=「悪魔の勝利」=「全知全能の神、神に仕える天使の敗北」 ってこと?
それって、神は全知全能じゃなくない?
天使のお慈悲が通じてなくない?
私みたいに神を信じてなくて祈ってもいない人が救われないのは仕方ないけど、ず~っと信じて祈り続けてる人を救ってあげられないのはなぜ?
よく聞く「試練をお与えになった」という言葉。
↑なぜ与えるの?
悪魔に憑かれて、背骨がぎょわ~んって反ったり、お腹が破裂しそうなほど膨れたり、体内からボコボコしたり、皮膚に裂傷が起きたり、蜘蛛のように壁を這ったり、電気やガラスを割ったり、そんな事例って本当にあるの?
神父がファーザー。
修道女がシスター。
えっ、じゃあマザーは誰?
映画としては、人の関係性にあっと驚く部分があったり、ストーリーとして面白かったし、ホロリとくるところもあった。
けれど、感情型、感覚派の割に理屈っぽいところもある私としては、なんだか色々と疑問が湧いて気になってしまった1作だった( ˘•ω•˘ )