4/21鑑賞

 

まず、恥ずかしながら、自分の浅くて愚かな部分が丸出しの最低発言をするんだけど…。

 

この映画が公開されることを知った時、正直なところ、他人様の国に首を突っ込んで全世界に公開するなんて、余計なお世話だし、その正義面がなんか嫌だ、と思ってしまった。

 

そして、もし自国のことが悪く描かれていたり批判的に描かれていたらすごく嫌で、観たくない気持ちが強かった。

 

でも、その感情を紐解いてみると、

 

①悪い意味での不要なプライド

②臭い物(語弊があったらごめんなさい)に蓋をする精神

③無関心

 

でしかなくて。

「嫌だ」ってさ、どの目線で言ってるの?って、我ながら思った。

 

自分の国で起きたことなのに、大事なことから目を逸らしている気がしてずっと心に引っ掛かっていて、この日唐突に観てみる覚悟が決まったため、鑑賞した。

 

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実際に観てみると、日本人として改めて認識すべきことが描かれているし、"日本の水俣で起きた公害" に限定した批判ではなく、"世界で起きている公害" に対する問題提起だと感じて、冒頭に書いた最低な思いがすごく恥ずかしくなった。

 

・1973年 チッソ社が賠償金及び医療費と生活保障金の支払いに合意

 

・1997年 熊本県知事が熊本湾の安全宣言

 

・2013年 安倍(元)首相が "水銀被害は克服した" と発言

 

私が無知&深く考えてこなかった馬鹿だから、この3点のおぼろげな記憶だけで、水俣病に関しては既に事態が収束しているものだと勝手に脳内変換していた。

 

そして、被害者や被害者家族に対して、チッソ社や県や国が充分に賠償責任を果たしているものと思っていた。

 

でも、映画を経て調べてみたところ、今年3月末のニュースを見つけ、公式確認されてから68年経った今もなお訴訟問題が続いていることを知って、驚愕した。

 

そもそも訴訟問題だけでなく、

・お金が有ろうと無かろうと、亡くなってしまった方の命はもう二度と戻らない

 

・医療費や補償金を支払われても、被害者の方の病気の苦しみ、看病する方の過酷な生活、また、それらによってめちゃめちゃにされた人生は、最期の時まで続いていく

 

・メチル水銀を摂取してから長期間が経過した後に発症するケースもある(「遅発性水俣病」と言う)

 

このようなことを考えると、終わってる訳があるはずないのに、なんで無関心でいられたのかなって自分に引いた。

 

映画いわく、チッソ社と日本政府は十分な責任を果たしておらず、今も数万人もの方が苦しんでいるそうな…。知らなかった、そこまでの考えに至っていなかった自分が恥ずかしい。

 

作中で、勝訴を勝ち取って、自身および自身の子供が水俣病である(演:)加瀬亮さんが、共に戦ってきた者同士で喜びを噛みしめつつも、その後の何とも言えない苦し気な表情が、とても印象に残った。

 

あの表情を見て、私はなんて馬鹿な勘違いをしていたんだろうって強く思った。

 

このような公害は、国内&メチル水銀由来というだけで新潟県でも同様のことが起こっているし、汚染物質や被害範囲を広げると、過去と現在において、世界中で被害を受けて苦しんでいる人々がたくさんいらっしゃるという現実…。

 

本作で、正しいジャーナリズムの必要性を改めて強く感じた。

 

ジョニー・デップが演じたユージン・スミスの人柄や行動が、どれ位忠実に描かれているのかは分からないけど、彼の写真家としての精神と、水俣病に寄り添って下さったことに、敬意を表する。

 

ユージンと一緒に行動をとっていたアイリーンが、彼のことをこのように記している。

 

ユージンは、「自分は写真家として二つの責任がある」といつも言っていました。

一つは被写体に対する責任、もう一つは写真を見る人々に対しての責任です。

 

その二つの責任を果たせば、必然的に編集者・出版界に対する責任が果たされると言っていたのです。

 

ユージンは "integrity"(精錬潔白であること)とそれを守るための頑固さをもっとも大切にしていました。

写真のあるべき姿──私の想い:アイリーン・アーカイブ (aileenarchive.or.jp)より

 

私がこの映画を観たことによって、気付いて、知って、もっと知りたいと思えたのは、元はと言えば、ユージンがこのような写真を撮って残したから。

 

本作に関しては、冒頭で書いた「首を突っ込む」とか「余計なお世話」とか「正義面」とかの言葉を完全に撤回します。ごめんなさい。

 

うまく言えないけど、本作を観て良かったと心から思った。