調べ物で久しぶりに図書館に行った。
探し物は文庫の「は行」の棚にあったのだが、隣の「な行」の新田次郎が目に止まった。
「小説に書けなかった自伝」という題で、長編小説でないのも気に入り、一緒に借りてきた。
近頃長編小説を読む気力も時間もない…わけではないが、なんだかスイッチが完全にオフになっている。
中学生のときに「アラスカ物語」に出会い愛読していた。
今でも自宅の本棚には文庫版と、どこからか手に入れたハードカバー版の2冊がささっている。
読み始めるととても懐かしかった。
一文は短く飾り気がなく、淡々としているが、テンポよく重なることで登場人物の感情にぐいぐい引き込まれていくように思う。
ああこれだこれだと思った。
ふと自分の文章が新田次郎文体に似ていることに気づいた。
息子の藤原正彦氏曰く、「飾り気のない短文を小気味よく次々にたたみこんでいく」。私もエッセイ的なものを書こうとするとそんな感じになる(ときどき持病のギャグを挟みそうになる)。
そんなに冊数を読んでいるわけではない。「剱岳ー点の記ー」とつぶやき岩の秘密くらいしか読んでない。
アラスカ物語は通算5回くらいは読んでいるんじゃないだろうかというくらいである。
それでも似るのが嬉しい。
新田次郎は長野の出身で、彼の作品は実直で、弱い者を見つめる眼差しは優しく、質実剛健という言葉が似合う。
作品を読ませてもらうだけで嬉しいのに、文体をもらうなんてものすごくありがたい。
あったまってきたので、今なら積んである「八甲田山死の彷徨」も読めるかもしれない。
(天は我々を見放した!)
もっとも、私の文体は、インターネットおふざけ文体と新田次郎しかないことになってしまう。
もう少し増やした方がいいかもしれない。