杉田水脈衆議院議員の『新潮45』における差別的言説と、マイノリティを巡る社会の変容(6)
第6節 私は時に「マジョリティ」時に「マイノリティ」
我々一人ひとりは、様々な特性を持っている。ゲイであり高所得な人、身体障碍を持っているが、シス・ジェンダーかつヘテロ・セクシュアルである人、在日コリアンでトランスジェンダーの人、いろいろな可能性がある。アマルティア・センが述べたように(注1)、一個人のアイデンティティは複数存在し得る。
私はゲイであるということはマイノリティに属する。しかし多様なセクシュアル・マイノリティの中では多数派である。一方、特に大きな身体障碍を持たず(しいて言えば眼球振盪があり、眼鏡やコンタクトレンズを付けてもあまり視力が上がらないが)、日本国籍を持ち、大学院の博士課程まで出ることができ、それなりの収入のある仕事に就けている。また、シエラレオネで道を歩いていると、時に中国語の真似をしてからかわれるが、おそらくかなりの確率で、私は彼らよりも高い収入を得ている(注2)。カネというある種の「権力」を持つ側である私は、自分がこの国で単純に「マイノリティ」であると考えるのはいささか躊躇してしまう。第4節で述べたように、LGBTと便宜的にくくっていても、一人ひとりは多様であり、現実世界においてある一つのアイデンティティを共有する集団が存在するわけではない。また、その内部が多様であることに目をつぶってはならない(だからこそ、LGBTの中でも時に意見が対立する)。「LGBTはかくあるべし」という規範の押しつけがあるならば、それは多様性とは逆行する(もしろん、互いに議論し、合理的な批判をし合うことの重要性はいささかも減じるものではない)。従って、ある一定のアイデンティティの共有を前提とした「アイデンティティ・ポリティクス」は有効ではあるものの、おのずと限界がある。LGBTの中にも裕福な人もいれば貧困にあえぐ人もいる。そして、富裕層は貧困層に転落する可能性があるし、貧困層が富裕層へと発展する例もあり得る。「LGBTへの支援が必要だ」とは言っても、その中で特に重要だと思われるのは、LGBTであることを理由とした就職差別や、同性婚が認められないために(注3)、経済的に不利益を被る人に対する支援だと思う。「アイデンティティ」に加えて、経済的に恵まれているか、恵まれていないか、というもう一つの軸を持ち込む必要性が浮かび上がってくる。古臭い言い方をすれば「階級闘争」の復権である。これを理解するためには、以下の論考が参考になる。
松尾匡
「右翼と左翼」
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/yougo_uyosayo.html
「市民派リベラルのどこが越えられるべきか」
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay_71225.html
ただし、松尾氏のこれらの論を読む限りにおいては、議論をシンプルにするためだと思われるが「アイデンティティの複数性」にはあまり注意が払われておらず(注4)「強者アイデンティティ」「弱者アイデンティティ」という一次元の軸に落とし込まれてしまっている。また、明白な人権侵害であるヘイトスピーチの問題を考えるにあたっては、アイデンティティ・ポリティクスを軽視すべきではない。なぜならばヘイトスピーチを向けられた側が富裕層であれ貧困層であれ、同様の精神的ダメージをもたらすものだからだ。また、在日コリアンは歴史的経緯によって日本国籍が与えられなかったために(帰化もまた、大変な労力と金銭的負担を伴う)、日本における選挙権・被選挙権が無いのは富裕層であるか貧困層であるかに拘らず同じである。これらは些末な問題だろうか?ちなみに、富裕層の方が貧困層よりも平均寿命が長いことは社会疫学では「健康格差」としてよく知られている。だが、米国においては所得水準を調整しても、白人よりも黒人の方が平均寿命が短い、あるいは心疾患などのリスクが高いことが示されている。即ち、交絡因子を調整しても、なおも残る人種格差は差別による心理的なストレスなどが影響していると考えられる。一例を挙げると、
D. Williams “Race, Socioeconomic Status, and Health, The Added Effects of Racism and Discrimination”
LGBTに関していうと、杉田議員が過去の動画において「同性愛の子どもは普通に、正常に恋愛できる子どもに比べて自殺率が6倍高い」と、笑いながら紹介していたが、これは若干誤りである。第2節でも紹介したが、都市部の同性愛・両性愛・クエスチョニングの男性における自殺企図率が、多変量ロジスティック回帰した場合のオッズ比が約6倍高い(p値は1%有意)という研究結果がある。LGBTであるというアイデンティティは、自殺企図に関しては高リスク群であることは間違いない。
元論文
Y. Hidaka et al. “Attempted suicide and associated risk factors among youth in urban Japan”
http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download?doi=10.1.1.615.3886&rep=rep1&type=pdf
ただし、所得水準に関しては調整されていないので、そこは今後の課題だろうとは思う。同じ筆頭著者の別の論文では、大卒者は高卒者に比べて自殺企図率が有意に低いので、学歴や年収による差、マイノリティ集団内部での格差には注意が必要であろう。
Y Hidaka, D Operario “Attempted suicide, psychological health and exposure to harassment among Japanese homosexual, bisexual or other men questioning their sexual orientation recruited via the internet”
https://jech.bmj.com/content/jech/60/11/962.full.pdf
(ただし、著者自身も論文中で述べているように、インターネット調査によるサンプリングバイアスの限界もある。)
日本語で読める解説としては、
「わが国における都会の若者の自殺未遂経験割合とその関連要員に関する研究」
http://www.health-issue.jp/suicide/result02.html#sub09
SYNODOS
日高庸晴×荻上チキ「セクシュアルマイノリティと自殺リスク」
https://synodos.jp/society/2252/4
BuzzFeed News
籏智 広太「14%が自殺未遂を経験。ゲイ・バイ男性の抱える『生きづらさ』とは」
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/suicide-lisk?utm_term=.pv1ngD7mz#.qtYMWD2pd
松尾氏が言うように、「人権」概念がいかに「きれいごとのお説教」であっても、第4で述べたように、それは多数派が自身の置かれている特権的状況(これは経済的な格差とは限らない)に無自覚なだけである。ただ、松尾氏の本論考で注目すべきは、脚注2である。「各自の異質性への配慮が否定されるわけでないのも言うまでもない。むしろもっと徹底されるべきである。これまでの市民派リベラルには、集団アイデンティティへの配慮のあまり、各集団内部での個性の圧殺を見のがしてしまうきらいがあった。」この指摘は重要である。松尾氏は「右翼と左翼」において最後に「横に切るか縦に切るかに中間はない」と言う。だが、松尾氏自身が「縦の壁も横の亀裂もそれぞれそれなりにあるのは事実だ」と言う通り、世界を横に切る方法と縦に切る方法は複数存在するし、それらは同時に共存し得る。だが、本論考ではその点への関心は、(おそらく意図して)ほとんど触れられていない。あるイシューに取り組む場合、一つの切り分け方に着目し、他の切り分け方を捨象する必要もあるかもしれないが(数学的に言うと、偏微分のような)、切り分け方自体が複数あることに自覚的であることこそがことこそが重要なのだ。私もあなたも、時に差別者側に回る可能性があるし、時に被差別者側に回る可能性があるのだ。
アイデンティティ・ポリティクスの限界とマイノリティ集団内部での多様性に目を向けることの重要性については、私は以前にもこんな記事を書いた。
「保毛尾田保毛男」と「差別」をめぐって
https://ameblo.jp/mot82yn/entry-12315734425.html
また、上記記事では、多数派と少数派のバーゲニング・パワーの違いを無視できないことを「コースの定理」の、現実社会への誤った当てはめを例にして論じている。
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注1: アマルティア・セン『アイデンティティと暴力: 運命は幻想である』
注2: バラッサ・サミュエルソン効果(先進国の方が途上国よりも物価水準が高くなる)によるところも大きい。
注3: LGBTへの支援のあり方として、ざっくりとした分け方だと、同性婚推進派と、婚姻制度廃止派がある。伝統的感覚の残る家制度と結び付いた婚姻を同性カップルに拡大することへの懸念、そもそも婚姻という制度自体が婚姻していない人に対する優遇であるという批判などがある。私は同性間のパートナーシップは伝統的な婚姻制度の拡大ではなく、公的保証を最大限に行いつつ、それでも拾いきれない部分のリスク・シェアリングをする最小単位としての「家族」という、個人間の契約が、今日の「婚姻届」のように簡便に行える制度にすれば良いと思っている。
注4: もちろん、松尾氏がセンの「アイデンティティの複数性」に関する議論を知らないはずは無く、以下の論考ではそのことをメインテーマとしている。
SYNODOS
松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』
「『獲得による普遍化』という解決──センのアプローチをどう読むか
https://synodos.jp/economy/14513
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