パリでのテロ事件とトリコロール(フランス国旗) (4/4)
<ISさえ叩けば良いのか?>
IS(いわゆる「イスラーム国」)が今回のテロを起こしたのか、という点について疑問が出されています。
パリ同時多発テロを戦争へと誘導する未確認情報の不気味|川上泰徳|ニューズウィーク日本版 http://www.newsweekjapan.jp/kawakami/2015/11/post-3.php
ただ、上記の記事を「陰謀論」的に読んではいけないと思います。4ページ目に「『イスラム国の指令』はあったとしても、二次的な要素である」とあるように、決して「ISとの戦争のために仕組まれた陰謀である」というような見方ではなく、ISが強力な統制によって実行犯を動かしているというよりは、フランス社会の中に、もともと何らかの条件があり(それはもしかしたら差別や貧困かもしれません)、そこにISがうまく付け込んだのであり、そうした社会的素地にアプローチしない限り、ISへの空爆だけで問題が解決するわけではない、という指摘であると読むべきでしょう。上記の記事にも、そして、最初の節で取り上げた志葉玲氏の記事にも、自爆テロの実行犯となる若者は絶望に打ちひしがれている、という記述があるのは注目すべき点ではないかと思います。
なお、なぜ、イラク、シリアにおいてISが台頭することになったのか、については、下記の山尾大氏の連載記事が参考になりました。根本には、イラク戦争後の統治の失敗があります。
シノドス 山尾大(イラク政治)
http://synodos.jp/authorcategory/yamaodai
テロについてではありあせんが、紛争が起きる原因については、”Greed versus Grievance?”(貪欲か不満か?)というという論争があります。ISがその支配領域で産出する石油が一つの重要な資金源になっていることを考えると、資源の収奪という観点から見ることも一つの重要な視座かもしれません。
「資源紛争の再検討」松尾 雅嗣(広島大学)
http://home.hiroshima-u.ac.jp/heiwa/Pub/35/Part3.pdf
こうした慎重かつなるべく客観的な研究をふまえて、どのような手段(の組み合わせ)が最も有効か、を検討してゆくべきでしょう。
<悲しみに共感して祈ること>
最後に。とりあえず、今は静かに祈りましょう。哀しみの淵にある人が、その哀しみから癒されますように。そして、再び、新たに哀しむ人が出ませんように。人々が、それぞれにささやかながら幸せな暮らしができますように。
<補足>
私は、Facebookのプロフィール画像をレインボーカラーにしています。これは単にセクシュアル・マイノリティ(LGBTs)にとどまらず、あらゆる多様性を祝福する意味を込めています。何らかの共通要素に基づいて個々人をカテゴリ分けをすることは便利ではありますが、この世界のあらゆる存在がそれぞれ別個の存在であるのですから、そのカテゴリに基づいて一律に受け入れるカテゴリと受け入れないカテゴリを作るというのは、おかしいのではないか、と思うからです(これは、経済学的には「シグナリング」と「リスク回避的態度」あたりから「合理的選択」であるという説明ができるかもしれませんが、社会生活において「受け入れる/受け入れない」の選択の自由が確保されるとしたら、「受け入れられる」側の選択の自由(「受け入れる」側への社会参加)が一方的に制限されることになり、「自立した個人と選択の自由」という(私が考える)経済学の根本イデオロギーに矛盾してしまうので、背理法的にこの正当化理論は採用できません)。
(完)