それは叔父の仕事先の話で、まあタクシーの運転手だったんだが、いろいろ怖い体験もしたそうな。
そんな話を幼い俺は聞きながら育ったんだが、一番怖くて印象に残ったのはあの話だ。
その夜、叔父は客を海沿いの町まで送って、帰るところだった。
ずいぶん遠いところだったんでもう深夜になってしまったそうな。
んで、 あまり通りたくない近道をしたそうな。
なぜ叔父がその道を嫌っていたのかというと、それは・・・出るから、とのことだった。
その道は昼でも暗くて気味が悪いうえに車もあまり通らない。
たまたあ通った車が事故にあう。見通しが悪いわけでもないのに。
事故をした人は決まってこう言うそうな。
「変な女を避けようとして、事故にあった」
タクシー仲間の間でも、その道は有名だった。
よくある話だが、女を乗せたと思ったのに、いなくなってたってやつ。
それにその道に入るところには、火葬場もあった。
叔父はそれでも、生まれたばかりの娘の待つ家にはやく帰りたいがためにその道を選んだ。
車が火葬場の近くを通り過ぎようとした時、手を上げる女の姿が見えた。
「しまった!」
叔父は空車ランプをつけっ放しにしていた。
これでは乗せないわけにもいくまい、とタクシーを停めた。
その女は
「○○寺まで」
と、消えそうな声で言うと静かにうつむいた。
こんな時間に寺?
叔父は怪訝に思ったが、実はその寺というのはその近道を通った先にあるので帰り道と重なっただけだな、と家に予定どおり帰れることの方がうれしく、さして気にも留めなかった。
そして、タクシーはその道へと入っていく…
真っ暗な道で、他の車とも全くすれ違わない。
叔父は客が気まずいだろうと思って話しかけた。
「お客さん、こんな時間にお寺になにしに行かれるんですか」
「・・・」
「もしかしてお寺の方ですか」
「・・・」
女の客は、何も喋らない。
叔父は寒気がした、と後に語っている。
すると、女がはじめて口を開いた。
「…むい」
「へ?」
「…さむい」
叔父は不思議に思った。
たしかに涼しくなってきてはいたが、まだ寒いというほどではなく、冷房もつけていなかった。
「わかりました、暖房つけますね」
と、叔父は女に言ってちらりとバックミラー越しに後ろを見た。
…その女の髪はぐっしょりと濡れていた。何故か磯の香りがする。
何なんだ…この客は…叔父はほんとうに怖くなってきた。女の顔は見えない。
と!
「キキーッ!」
叔父は急ブレーキを踏んだ。
タクシーの前に人、それも女の姿が見えたような気がしたからだ。
叔父は
「大丈夫ですか、お客さん」
と後ろの席を振り向いた。
女の客は何も言わずうつむいたままだった。
…よく見るとシートはびちょびちょに濡れていた。
もういやだ…はやく降ろしたい、と叔父は、半分泣きながらタクシーを飛ばしたという。
そして、お寺の前の道まで着いた
「ありがとうございました、1150円になります」
と叔父はほっとしながらドアを開けた。
女は小銭で料金を払うと、フラフラと寺のほうに向かって歩いていった。
気味の悪い客だった、と叔父が手のひらを見ると、そこにはあったのは、小さな、貝殻だった…
「やばい、乗り逃げだ!」
叔父はタクシーを降りて女のほうに向かって走っていった。
女に追いつくと叔父はこう怒鳴った。
「ちょっと、何なんですかこれは!」
すると、女が顔を上げた。…その眼には眼球がなかった。
「わわ」
叔父は声にもならない悲鳴を上げて逃げ出した。
後ろは怖くて振り返られなかった。しかし、あの磯の香りが、女の存在を背後に感じさせた。
叔父はタクシーの方向とは逆に逃げてきてしまった。
しまった、と思った矢先、寺が見えてきた。
叔父は玄関にたどり着くと狂ったように戸を叩いた。
背中には、闇。
気が狂いそうだった、ということだ。すぐに戸が開いて、中から住職が出てきた。
住職は叔父の様子を見て、尋常ならざる事態に気づいたのだろうか、叔父をかくまう様に中へ入れると、戸を閉めて叔父を本堂に連れて行った。
…ここまで来て叔父はだんだん落ち着いてきた。
それを見て住職が話しかけた。
「あんたタクシーの運転手かね」
「…はい」と叔父が答える。
「何かへんなもん乗せたじゃろ」
「…」
ガタガタガタ…と本堂の障子が音を立て始めた。
そしてまた、あの磯の香りがしてきた。すると住職がこう怒鳴りつけた。
「帰れッ!まだここに来てはならんッ」
そして住職は読経を始めた。
叔父も必死で「南無阿弥陀仏…」と唱えた。
しばらくそうしていると、音も、あの香りもしなくなっていた…
俺はここまで聞いていて正直震えてしまった。
叔父は後日談を付け加えた。
あの日の2日前、海で身元不明の女の水死体が上がったという。
検死、身元照合などを終え、あの火葬場で荼毘にふされたのがあの夜だった。
そして、火葬場で焼いたその遺骨は、あの寺の墓地に埋葬されることになっていたという住職はまだ遺骨が火葬場にあることを知っいて、ああ言ったのだろうか。
俺はこう聞いた「なんで眼が無かったの?」と。
叔父はこう答えた。「海で溺れ死ぬと、魚が目の玉を食べちゃうんだよ」と。
それからしばらく、俺は魚が食えなくなった。
今では叔父のその話は、俺を怖がらすための嘘だったと思う。
でも実際にそのタクシーに乗る幽霊の話は地元紙に載るくらいだったし、もちろんそれは3流の記事の扱いだったけど…
そのことは、いつもの怖い話とは違い、すこし怖いくらいの表情で話す叔父の姿とあいまって、俺にその話はもしかしたら本当じゃないだろうか?と、思わせて仕方がないのだ。