単に、関宿城へ行って参りました。
城と言っても、歴史的な建造物では無く、ましてや城址に建てられたレプリカ
でも無く不思議な「博物館」です。そう、博物館なのです。
展示物のメインは、川に纏わる郷土史的なものがほとんど(他にもある?)。
2度目には、わざわざ再見学は必要無いような・・・ゴメンナサイ。
しかし、立地は、利根川と江戸川の分岐点にあり、景色の美しい良い所ですヨ。

お城の周りは公園で、ブランコやジャングルジムなどの遊戯施設もご家族ずれ
の憩いの場所なのでしょう。
その奧に「ゴリラ」君、流行の「パンダ」君、他にも亀と魚がおりました。
いかにも、幼児の喜びそうなモニュメントです。


しかし、ここで、流石の「私」は、有る事に気づきました。
(正義の味方モードの「スイッチ」がONに。※通称ONモード)
それは、各石像(コンクリートゴリラ君)の位置が円を描いている事に!
ここ迄言えば、理解された方も多いはず。
そう、これは、「意図して置かれている」・・・つまり「ストーンサークル」
を真似て造られているのです。!!
先日の、将門公の首塚に次ぐ「ミステリースポット」発見!!!
付近でのUFO目撃談などの情報を聞き込みしましたが、「知らない」と口を噤
むだけでした。
これには、隠された真実が有るはず。
更なる調査を続けよう。オー!
続きまして、一般人モードに戻った(※通称OFFモード)私は更に散策を続け
ました。
この側には、「関宿水門」と呼ばれる江戸川への治水を目的とした水門が有り
ます。


江戸川は、そもそも、秀吉の小田原の役(映画・のぼうの城の頃)の後、あの
家康君が秀吉君に「江戸」へ行ってヨと言われ、仕方なく、しぶしぶ江戸に移っ
たのだが、そ~んなに良い所ではなかったようで。
ただ、家康君は偉かった。住めば都、そんなら「善くしちゃえば良いじゃん」
と、歴史シミレーションゲームみたいに、基本攻略の「治水」からてを付けた
ようです。
そこで、家康君、部下の誰に任せるか? 人選です。
そこで、目を付けられてしまったのが、苦労人の「伊奈忠次」君。(名前の通
り、現在の埼玉県伊奈町在住、ちなみに、茨城県伊奈町(現つくばみらい市)
の町名も名字からつけられた)
忠次君は、不遇の人です。信教の自由から一端退職したものの、フリーで長篠
の戦いでガンバリ、子会社への再就職が認められ、家康君の息子の信康ちゃんの社員に編
入されたのです。しかし、またまた、不運が襲い、その時まだ元気だった信長
君が、信康ちゃんに因縁をつけ、自殺においやったのです。主君を失いまた、
失業することになってしまいました。しかし、運の強い人で、その後起こった、
本能寺の変での伊賀越えで家康君を一生懸命守り、再々就職する事が出来たの
です。と思ったら、今度は大変なプロジェクトエックスを任されてしまった?
・・・そんな忠次君です。
そこで、考え抜いた結果、元凶の元の「利根川」を江戸から遠ざければ良いじゃ
ん。これが「利根川東遷事業」の幕開けです。
但し、単に利根川を東の方に持って行けば良いという訳では有りません。
同時に江戸全体の治水計画を練り上げ、様々な川をせき止めたり、変えたりし
なければなりません。現在でも古利根川や元荒川など「古」や「元」の文字が
使われるのは、この事業によるものがほとんどです。
所で、忠次君は、頑張って、頑張って利根川の流れを銚子の方へ変える事に成
功。
「備前守」の肩書きGet!
更に、現在のような、ゆうパックも佐川、クロネコも無い時代の輸送手段は
「水運」です。つまり船。
水運の整備も同時に行って、江戸川と利根川を、関宿水門の辺りで繋げちゃっ
たのです。(因みに、写真の水門が出来たのは昭和2年ですが、基本理念は、
家康君の時代から受け継がれて来たようです。この水門の完成は、大部分は治
水の為のものであると考えられます。江戸川の水位を安定させた事により、当然利根川
と江戸川の水位が違ってしまったので、船は水門脇で水位調整を行い往来したとか。
また、江戸川の水は東京を始めとする隣接の市町村の飲み水の水源となり重要
な役目も担っているのです)
これにより、銚子から江戸まで、海を通らなくても、近くて安全で、大量に運
べる利根川経由での輸送手段が確立出来ました。
野田の醤油はこれで発展しました。


そんな名残も今となっては、知る人も少ない関宿城周辺です。