前回の記事(こちら)の続き。
前回紹介した前方後円墳・三池平古墳~廬原城跡地を巡って散策するなら、ついでに行って欲しいのが、これまためっちゃ目と鼻の先にある久佐奈岐神社(Wikiこちら)
実は静岡の清水区、家康や次郎長、ちびまる子ちゃんばかり取りざたされますが、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)にまつわる史跡が結構あるんですよ。
それは古事記(712年)や日本書紀(720年)に書かれてる物語。
東征に向かった日本武尊が敵の放った野火に囲まれ窮地に陥るが、
剣で草を刈り払い難を逃れて以降、
その剣(天叢雲剣/アメノムラクモノツルギ)を草薙剣(クサナギノツルギ)と名付けた。
~って有名なお話の舞台がここら辺(とされているから)なんです。
そのものズバリ!草薙って地名があったりとか、その草薙剣がもともと収められていたとされる草薙神社とかがあります。
久佐奈岐神社もそうで、草薙とは字は違いますが、読み方は”くさなぎ”。
日本武尊の東征の際の本陣跡~とされています。
鳥居入り口に色々書かれていますよ
奥には第2の鳥居。
能舞台のような物がどーんとあって、四方に小さなお社がいくつかある作り。
日本武尊東征の物語の舞台は、古事記では相模、日本書紀では駿河国になっています。
この土地の表記差は、日本書紀や古事記の書かれた時代の地名表記の違い、伝承なのもあっての誤差なので、大体そこら辺~って曖昧なニュアンスらしい。
現代でも合併吸収で地名が変わりまくりな静岡、神話時代からカオス!
ただ、日本書紀は駿河と明記されているので置いておいて、問題の古事記の原文を読んでみると、
故爾到相武國之時、其國造詐白「於此野中有大沼。住是沼中之神、甚道速振神也。」於是、看行其神、入坐其野。爾其國造、火著其野。故知見欺而、解開其姨倭比賣命之所給囊口而見者、火打有其裏。於是、先以其御刀苅撥草、以其火打而打出火、著向火而燒退、還出、皆切滅其國造等、卽著火燒。故、於今謂燒津也。
・日本武尊を騙したのは相武国(さがぶのくに)の国造。
・草を薙いだ場所から出戻る
・隠れていた国造を成敗し、死体を焼いたのが焼津
~となっているので、当時の相模国造が治めていた土地から駿河(焼津)を股にかけてのお話と考えるのが自然です。
現在は神奈川の相模、現在は静岡の焼津、その中間地点にある清水・草薙。
なかなか面白いじゃないですか!
余談として、
古事記のこの部分の記載に関し、個人的にずっと考えていた事なのですが、
東征が目的の日本武尊が一旦神奈川入りしたのにわざわざ静岡のかな~り西部に近い焼津まで戻っちゃうのに違和感なのです。
実は物語の始まりは相武でなく、焼津の手前の遠江国(とおとうみのくに)相良(さがら:現在の牧之原市)だった、大沼ってのは浜名湖!~だったりしたらまだ解る気がするんですよね。
(奈良時代の事だから単純に地名を聞き/書き間違えただけ~っていう。)
相良って地域、廬原国みたいな古代の政治の中心地ぽいので、色々調べると面白そうだなって目をつけてます。
まぁこの説だと清水区の旧跡もろフェイク!ってなっちゃうので、そっとしておこうと思います。
(日本武尊自体がフェイクって説もそんな感じ!)
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