ありがたい事に

いち母としては、比較的平穏な日常を送っているかとうさぎのぬいぐるみ思ってるんですが…




ひとりの人間の一度きりの人生という点でみた時、


ドラマチックなこととか、

誰かとの化学反応とか、

あっと驚くようなこととか、

ワクワクするような瞬間キラキラ

とはちょっと違ったところにいると思います。


これまでのパターンとしては、

何か少しでも気分のいいことが起きると、

「あ〜もうこのまま死んでもいいなぁ」と思うことが多かったんです。


例えば、

子どもとゴロゴロしてるとき、

子どもたちが自然の中ではしゃいでいるとき、

綺麗な空を見たとき、気持ちいい風を感じたとき、

などなど。


だって、

空気は自分で作り出さなくても自然から供給されているし、

命令しなくても美味しく食べたものは勝手に消化されて栄養を吸収してくれるし、

夜は眠れるし、朝は起きれるし、

山も森も川も海も空もいつでも行けるし、

それを体験できるだけの五感も持ち合わせていて五体満足でもって暮らしているなんて、

他に何がいるって言うんでしょうよ!!!!と。



それが「足るを知る」って事だと思っていたからです。

私は、この世の中で、波瀾万丈さや非情さ無情さ苦しさ辛さ理不尽を味わっている人がたくさんいる中で、

こんなに当たり前に呼吸してヘラヘラと笑っていられる事が

ありがたいと思わなくちゃとすごく思っています。今でも。これは変わらない。


ビッグなハッピーは

もっと大変な人のためだからと。


べつに多くは望まなくとも、ここで幸せでいられるからと。


あんまりわがままいいなさんな〜って自分で言ってた。無意識に。


そしてもちろん、

取るに足らないことに幸せを感じる力は大切だと思います。



こどもたちがプレーパークで作ったロボット家族



でもそれが時に、

「なんで私はこんなに与えられているのに、人に世の中に何も還元できない出来損ないなんだろうチーンダッシュダッシュ」と強烈に感じて、バタバタ暴れたり(?)勝手に自暴自棄になることもよくありました。


自分の中の流れが

ものすごく詰まっているような感覚がして。


自分てなんて欲深いんだろうと落ち込んだり。



上記した現状への満足も、本当はここから無理やり来ているような面もあるかも。


“多くを求めないような、高尚で素敵な人間になれたなら、社会に貢献出来るようになるんだ“と。

私以外の人はみんなそうやって、頑張っているんだからと。


どっから来てるんだろうね、

誰に言われたんだ?どこで見聞きしたんだろう。



それでね、本題なんですけど、

ふと、あ、これまでと違う意識を使ってみたいなと思ったんです。


「あ〜幸せだな〜過不足ない。。。。。


それで????


私がもっと幸せを拡大させて、周りの人に届くくらい溢れさせるとしたら、ここからどうしたい?」

って。


この違い!わかります??


これを思った瞬間、

あ!こういうことか!という気持ちになりました。


自分は自分しか動かせないのだから、

自分の幸せな拡大のために、頭も身体も使わなきゃ。


人に幸せを届けるのだって、自分が資本。


「何やら私は今幸せっぽい。」

ここで感覚を自分の中だけで止めたら、周りに広がりにくいんだろうな。当たり前にね。


もっと人に届けられるものを突き詰めて、喜びを循環させたり、

届けられた喜びをしっかり受け取って、また次に繋がるような。。。

それが今までなかった。


だから、こう考えるようになりました。

「あ〜今幸せにとっても近いぞ!

これでさらに、夫が仕事をとっても楽しんでルンルンで帰ってきて楽しく1日のことを話せたらもっと最高だなぁ!」って。


これまでの感覚は水の動きで例えたら“ため池“みたいな感じで、

新しい感覚は常に流れ循環し続ける“川“のような感じです、自分の中では。


ため池って、澱むよね。

水の行き場がない。


人間て、常に色んな流れと波の中で生きているんだから、

気持ちよ〜くたゆたって、逆らわずに流れて行きたいね!


そんな気づきのお話でした。

最後までお目通しくださりありがとうございました!

読んでくださった優しいあなたにいいことあるように祈っております昇天飛び出すハート