渡り鳥の北帰行が始まりました。
今朝、空の彼方から何とも言えないがやがやした鳴き声が、
窓を開けて見上げると、首の長い野鳥の集団が、ある方向一点をめがけ飛び立っています。
あれは、白鳥かな?
北の大地シベリアをめざして長い旅が始まりました。
暫くして、また遠くにガヤガヤにきやかな鳴き声がしてきた。
これもよく見ると、例のV字編隊飛行のカモらしき鳥の集団が飛んでいます。
皆んな、命がけの帰路の旅立ち。
心のなかで、無事に故郷に帰えれることを祈りながら、
朝の寒さにぶるぶる身をちぢめて窓を閉める。
先日、ちょっとだけ、春めいてきた日差しのお天気の日、
少し離れているが同じ町内に住む「チーム猫背」一人暮らし姉に電話をして、
天気が良いので、車でその辺ぐるっと行ってみないか?と誘ってみる。
思っていた通りの返事がかえってくる。
「おら、いがす」
「あんだらで、いってござい」
私は、行きたくないから、自分たちで行ってらっしゃい、ということ。
姉は、決して内向的でつつましく、遠慮がちな女てはない。
本当に、外に出たくないのだ。
それは、たとえ妹夫婦といえども、自分が気乗りのしないことに、気を使いながらのお付き合いの行動は嫌だということなのだ。
普段、自分の用事や外出時は、電車やバスをうまく乗りこなし、どこへでもぱっぱと出かけていく行動派である。
因みに、田舎の必須アイテム自家用車でしか移動しない私は、
何年もバスに乗ることもないので、今バスの乗り方がわからない。
車を手放したら私はどこへもいけない老人になることは間違いない。
結婚もせず、人生のほとんどを一人暮らしで他人に迷惑かけることなく、自由きままに生きてきた姉。
その、勝手気ままな一人暮らしの、
ある意味わがままさが、
集団行動を苦手としているのか、いや嫌っているのだ。
一人暮らしの気楽さを満喫しているのだから、「淋しいだろう」なんて余計なお世話。
それでも、いつのまにかお互い寄る年波で、夫婦二人暮しをしている私は今の所心配はないが
天涯孤独のような一人暮らしをしているの姉に、
普段はあまり仲の良くない姉妹だが
最近、私の方が少しだけ心くばりするよになった。
女の姉妹って、どうなんですかね。
気のあったべったり仲良し姉妹もあれば、
私たち姉妹のように、(特に私の方が苦手意識があって)良かれと思った気遣いが空回りしたり、
電話で話しても、お互いの置かれている環境の違いに共通の話題がないので、話が続かず、お互い不愉快感に包まれ、喧嘩口調で最後は電話を「はいさいなら」ガチャンになるという結末が多い。
だから、その辺のところはお互い分かっているので、普段はあまりつきあいがなく、
私は、どちらかというと用事がない限り近寄らないようにして来た。
一人暮らしは、孤独で淋しいからかわいそうなんて、勝手な思い込みは、大きなお世話なのかもしれない。
老後、一人でいることは、身体も精神衛生上も良くないから、外に目を向け、社会と交われ、運動をしろとか、やれ趣味や生きがいをもてとか、
まるで、一人暮らしそのものが人生のリスクのように扱われ、
一人暮らしの行く末、イコール孤独死を想定するような、マスコミの報道やその手の啓発本のような書籍が最近目につくようになりました。
なんでも、一通り飛びつく私もも、明日は我が身と、色々な方が書かれているその手の本を読み漁ってみました。
結論から言うと、内容はもう昔から言い尽くされた言葉の羅列。
人の生き死には、それぞれ、だから理想の世界を生きていくのは難しい。
老後は、こうあらねばならない、一人暮らしはこうあらねばならない、なんてお決まりの文言が並べ立てられているが
百人の人生は百通り。
努力目標のような、言葉に踊らされるのは嫌だなあ。
本人が、良しとしていれば、傍からどう見られようとどうでもいい。
私のような物好きながいっぱいいて
「じゃそれでは」と、
ボランティアや、市で開催される健康教室、シルバー人材に登録、と、こぞって社会参加に頑張っちゃったらどうなる。
それはそれで、邪魔者扱いされそうな気がする。
市で企画している高齢者のための行事ですら、定員があるのだから、暇を持て余している高齢者が本気でやったら、大変なことになる。
あれは、まず、参加する物好きな元気な高齢は決まっているから、大体これぐらいでの範囲でとあらかじめ人数設定をしていて、
望む特定の人だけへの市民サービスにほかならない。
本当に、困っている高齢者や、思い悩んている高齢者は、そんなものを欲しているわけではない。
やりたいこともなく、
やる気力もなく、
ただ生きていくだけの、なんともならない每日に
「なんとかしてくれ」なんて声を上げることなく(上げたところでどうにもならない事はわかっているから)
理想の老後の人生はないのだ
毎日を、ただ、ただ生きるのみ。
