私の崇拝する「近藤誠」が亡くなった。


先生の本は、ほとんど読みました。


私も、健康診断は一切やっておりません。


心不全での突然の死であった。


平均寿命からいって、73歳は、早すぎる死であったのか、


人間に等しく与えられた死を天命と受けとめるべきか。


先生の言わんとするガンと戦わずに、


先生が静かに、苦しまずに、死ねたことは私からみれば羨ましいかぎりです。



私は、若い時から「死」をいつも考える人。


自殺念慮があるわけではない。


ただ、若いときも、そして今も、何かを考え悩んだりすると、人間最後は皆死ぬんだ、というオチをつけて、納得したりごまかしたりしていた。


屈折した性格に問題があるのだろうか、でもそう思うことで妙に気が楽になるのも事実だった。


その頃それは現実的ではないまだまだ先のことだから、


でも、


最近はもうそんなに先のことではないような気がして、


「死」思うと少し胸が苦しくなるようになりました。


いつ、どんな死に方をするのか夜布団に入ると考えてしまいます。


ポックリは長生きしなけれは出来ない芸当なので、難しい。


できれば、(不謹慎のようだが先生のような)、心不全のような突然死がいいな。


誰にも発見されない所で、(救急車は呼んでもらわない)クラクラと倒れ落ち死に至る熱中症も悪くない。


雪山で浴びるほど断酒していた酒をのんで眠るように凍死するもあり。


癌になったら、一切の治療は拒否で、緩和ケアだけに徹して静かに自分の家で死ぬ。


断食往生死が理想。



まるで、演劇のリハーサルのように想像しています。


それは、観客のいないひとり芝居。


73歳は、無念の死だったのでしょうか。


寝たきり20年の末の100歳死は勝利のめでたい死なのでしようか。



私の大好きな五木寛之、養老孟司、


両先生は、くしくもなるべく医者に近づかない(健康診断や安易に病院行かない)生活をしているようです。


養老先生は、医師でありながら禁煙などせず煙草バクバグで、最近病院で命をつなく治療を受けたようてすが。



今日の、朝日新聞の読者の投稿欄「ひととき」に、


96歳の母親が骨折して入院し手術リハビリをしているが、


コロナで面会がてきないので好物のシュクリームとデザートを看護婦さんに託した。


翌日病院から、「糖質制限のため差し入れ物は食べられません」という電話があった、という内容が書かれていた。


これって、何なんですか。


96歳に糖質制限して、何歳まで生かして、それが誰の幸せになるんですかね。


96歳が、いまさら好きなもの好きなだけ食べて、何が悪いのでしょう。


食べさせてやれよ!


腹が立ってきます。


その人が私の、母親ならどうでしょう。


いや、私自身がその母親だったら、


「死んでもいいからシュクリーム食べさせてくれ」と懇願します。


96歳に糖質制限なんてクソ喰らえです。



私の、涅槃願望はいつ、どう言うふうに、かなえられるのか、


待っていても、「生かす医療」の犠牲で望まない生を延々とおくらなければならないようになるのであれば、


自ら、頃合いを見て、決着をつけるのもありだと強く思うのです。


それも、ボケたり、手足が動かなくなる前にです。


死は、敗北ではありません。


後先の狂う時がある、順番です。