登校時間とかぶりいつもより必要となる注意に神経が昂らされる。
前日深夜にいつもならダラダラしても20分で終わる食事が1時間以上かかったことに限界を悟り大急ぎで探してみたものの、そもそも木曜診療が少なくそのうえ朝早くからのはさらに見当たらなかった。
ようやく見つけた歯科は10年くらい前に通っていたところで8時診療開始だ。インターネットに書いてあった予約開始時間7時半ぴったりに電話をかけ運良く8時に予約がとれた。
その電話相手は無愛想でややムッとさせられたがこの苦しさから解放される期待が勝ってしまっていた。
唯一持っているジーンズとフリースを羽織り急ぎ気味でクルマを動かした。



10年ぶりのその場所に感傷に浸る余裕もなく簡単な手続きを終わらせる。恐らく先ほどの電話相手であろうその受付はやや無愛想で思わず
「なんていう無愛想なんだ、あなたは。痛い歯がさらに痛くなるよ、くらえアイアンパンチ!」
と、言いかけたが根が小心で出来ている私は至極当たり前に何もなかったようにスマホをいじり時間をつぶした。

この痛みの原因となる右下の奥歯は2ヶ月前に別の歯科医院で治療を終えたばかりなのでそれに対する腹ただしさをハナから持っていたが、これは歯の部分は無事に治療をされたがその中の神経にバイ菌が入ってしまいそれが激痛の原因だと図解を持って説明してくらたえらく人当たりのよい歯科医に好感と信頼感を持った。
そしてなにか安堵感のようなものも芽生えていたのも自覚していた。

しかし、口を大きく開けたわたしに対し矢継ぎ早に質問をしてくるので、
「おい、こちとらさっきから拳が入るくらい大きく口を開けてるんだぜ。質問されたところで喋れるかって!それに男はそうベラベラ喋るもんじゃないぜ」
と喉まで出かかったが根が小心者のわたしは、
肯定の時は「はひ」と首を小さく縦に振り、否定の時は「ひや」と首を小さく横に振った。

治療内容としては患部に麻酔を打ち神経を取り除いてくれるらしい。
痛みは容易く想像できたが、この一瞬のそれでこれからのそれがなくなるならどんな我慢もできた。
しかし実際麻酔を打たれたらものの1秒2秒あるかないかだったが脂汗が吹き出し眉間に皺が寄り手も膠着し背は自然と反っていた。歯医者にはいままで何回も足を運んだがこれ以上の痛みは記憶がない。
自然と「おい、貴様。無痛治療が流行りの昨今、こんなことがあり得るのか!責任者を呼べ!おんなじ痛みをくらえ!アトミックパンチ!」
と、口からでてきそうだったが根が小心者のわたしは後にめちゃ痛かったですよ〜との敬語に微笑を添えた。

無事にオペも終え、痛み止めももらい帰路につくわたしは麻酔注射1本の痛みのおかげで前日30分しか眠れなかったものの頭が冴えてしまっている。

北海道行きのフライトまであと4時間。




平成が終わり新たな時代令和が始まった2019年もあと1週間あまりで終わろうとしている。

ひとつの時代が始まった激動の一年だが私個人としてもまさに疾風怒濤の一年であった。

来たるべき新しい年に向けて気持ちを一度整理する為にもこの一年を振り返りここに記そうと思う。

毎日色々な出来事があったが、敢えて五つを精選しランキングをつけてみることにした。



第5位

覆水盆に返らず、こぼしたミルクを嘆いても無駄などと言われるがそれでも過去の過ちや失敗を非難してしまう。

それが自分自身の怠慢や気の緩みが招いた事柄だとなおさらだ。

わたしはよく出かけるときについ億劫になってしまい布団を敷いたままにしておいたり、洗濯ものを帰宅してから片付けようと畳まず部屋に放り投げたままにしてしまう。

しかし、帰宅後その布団や洗濯ものを見て後悔の念に駆られる。

嗚呼面倒くさい。と、嘆き過去の自分を殴打したくもなったりする。


大概の大人にとって朝は慌ただしい時間帯だ。ゆとりを持って行動するということは理想論にも近い。


人それぞれだが朝の出来事に脱糞がある。

わたしも例外ではなく我が家のユニットバスのトイレでそれに興じていると、過去の自分を呪ってしまう出来事に遭遇した。

トイレットペーパーを空のまま替えてなかったのだ。


第5位トイレットペーパーないから泣く泣く全裸になってシャワー浴びた事件





第4位


わたしは最近では滅多に怒りを露わにしない。いや、理不尽な出来事や人間にはあるだろうけど友人には滅多にない。


この件に関しては本人に直接謝罪もし終えていて和解もしている。けれども反省はいまなおしている。


久々に集まる友人らに高揚を隠し切れなかった。昔話に花が咲き、言いたいことを言い合える関係なのもあって騒ぐ声は大きくなる一方であった。

それに比例するかのように酒の量も増え普段気をつけているのだが酒に飲まれる事態に陥ってしまった。

何気ない近況報告で友人が痔の手術を告白した。

その場しのぎの軽い笑いが欲しくてわたしはその友人に痔の手術跡を見せてくれと懇願した。

無論ほんとうに見たい訳ではなくほんの冗談であった。

当たり前の話だけれど友人はそれを拒否した。それは頑なに。

わたしは後悔すべきは完全に悪酔いしていたのだ。冗談が本気になってしまっていた。その態度が気に入らなかったのかほんとうに痔の手術跡が見たくなったのか今ではわからない。ただ怒ったのは覚えている。



第4位 痔の手術跡開示拒否激怒事件





第3位


3月からひとり暮らしになったが、もうダメだと思ったことはなかった気がする。ある程度の我慢や工夫で乗り越えられてきたのだ。

しかし、39.4度の発熱をしたときはもうダメだと思った。

予兆はあったものの毎日R-1と養命酒を愛飲しているという過剰な自信と油断があった。

そういつもわたしは油断して失敗している。

その日の午後にもう限界を感じ病院を探すがあいにくその日は木曜日で大概は午前の診察だけで終了していた。

やっと見つけた診察可能な病院は家からは少し遠くこの健康状態では遠すぎるくらいであった。

朦朧としている中、車を運転し、信号や前の車にひとりでぶつぶつうわごとを言っていた。

病院では寒気と闘いながらその待ち時間にイラつきを覚えていた。

帰宅後はクスリを飲んで安静にして少し良くなったら買い出しも自炊も行わなければならなかった。

この件で本当にひとりで生きていくことのツラさがわかった。また、栄養面を考え直すきっかけをくれた。



第3位39.4度の発熱






第2位


生活には必ず変わる節目がある。例えばそれは入学、卒業。起業や就職もそうだ。

また引越しもそうであろう。

わたしは3月に引っ越しを行なった。それは業者や友人を使わずに完全にひとりで。

クルマが小さい故、少しずつ荷物を新居に運んではまた帰りの繰り返しであった。

それと同時進行で掃除をおこない、その作業が苦手なわたしはずいぶんと骨を折った。

だんだんものが減っていく姿に一抹の寂しさを感じだんだんものが増えていく新居に一抹の不安を感じた。

けれども悪い方かいい方かわからないけれども人生が動いたという実感は絶えずあった。



第2位引越し





第1位


多分本年度はもうこれしかないと言っても過言ではない。

思うに人間というものは溺れげながらだがそれが恋愛関係であれ友人であれ先輩後輩であれこういうものではないかと考える。


抽象的で申し訳ないがそれが愛情と呼ぶのか気とでも呼ぶのかわからないが人間にはなにかそういうものがあると思う。


初期段階のお互い空気のような感じで接し合う気体期。

第2段階で混じり合う液体期。ここの段階ではある程度の熱がある。恋愛関係ではもちろんだがあらゆる関係でもだ。

最終段階で熱はやがて冷めていき、固体になる。
第2段階でがっちりと混じり合わなかったものは別々の固体になるのだ。うカフェオレだとうまくいけばカフェオレに中途半端に混じり合うとコーヒーとミルクが分離している状態だ。



何年も続く恋愛関係や友情はうまく混じり合ってひとつのものになっていると思う。


逆にダメだった場合はうまく混じり合えなかったと考える。

抽象的だけどそう思う。





第1位 えなりかずき、泉ピン子との共演NG








初日。


飛行機は昼からなのだが、荷作りをしたり宅急便を出しに行ったりでバタバタする。

1か月ぶりの北海道は意外と暖かかった。もうあんまり覚えてないけれども。

カツオとスパイダー選手とトラックで4時間を超すロングドライブ。


車中では先日のわたしの余興での働きぶりを糾弾。

清水町の宿に着き、特にやることもないので酒を飲む。
裁判ごっこが盛り上がる。

深夜就寝。







2日目。
9時半と遅めの起床。あんまり覚えてないけれども。


恒例のインデアンカレー。

うまい。





会場に着き速やかに設営。


お手伝いをしていただいてる方の娘さんから各選手に似顔絵が配られる。かわいい。



時間がありすぎるのでジムとばんえい競馬に行こうと話が落ち着く。




わたしは腹一杯で食べられなかったが競馬名物カレーラーメン。




動物園コーナーではニンジンを食べさせる。
リアルな歯茎にびびる。




満足してしまいジムはやめる。




試合後札幌まで3時間弱のドライブ。



宿で少し飲む。朝方までスパイダーさんと話していた。

内容は忘れてしまったけれどもゴスペルグループをつくることでまとまった。



3日目。


天気が悪い。

会場も近く設営もスムーズ。
ありあまる時間をだらだら過ごす。
途中本屋へぶらぶらしに行く。

試合後、飲みにいく。
様々な事が起こる。


4日目。
一睡もせず空港へ。