いつの時代も帝国主義とか植民地政策とかの覇権争いはあるもののようだ。

日本にはポルトガル伝来の言葉が多い。

かるた、タバコ、ジョウロ、天ぷら、かぼちゃ、バッテラ、金平糖、カステラ、ブランコ、(雨)かっぱ、おんぶ、シャボン

ボタン、ビスケット、ボーロ、チャルメラ、キリスト、キリシタン、コップ、コロッケ、フラスコ、襦袢、マント、メリヤス、

ミイラ、オルガン、パン、バテレン、ラシャ、先斗町、ベランダ、ビードロ、ビロード、サラサ・・・

 

中世においては、海軍力は、ポルトガルが一番でのちに一番になるがスペインが二番。先に征服したら自国のものという時代に、ナワバリ争いを避けるために二国間で条約を結んだ。その一つに1494年に締結されたトルデシリャス条約があった。

修正されたローマ教皇が承認をした「教皇子午線」を境として、東回り航路はポルトガルが、西回り航路はスペインのものとするという身勝手な開拓者の取り決めがトルデシリャス条約。

もう一つ1529年にもう一つこの2国間でサラゴサ条約が結ばれた。

あれれ?日本が分断される線になってる。東がスペインで西の九州方面はポルトガルのものという取り決めだ。

 

 

まずは、日本はポルトガルが優先征服権(なんて無いが、)を持って日本に急接近。

 

征服の方法は、武力で鎮圧する場合だけでなく、その地域の支配者と結託合意を取り付けるかだろう。日本の中世と言えば、戦国時代で国内で陣取り合戦が繰り広げ日本統一には程遠い状況。その中で、征服手法としてキリスト教布教活動があったようだ。当然ながら時の権力者、織田信長等にとり入る。

福井原発の助役では無いがかなりの金品を提供していただろう。この世で初めて見るものを並べたと思われる。

織田信長は、キリシタンには好意的だったとされる。

織田信長が本能寺の変でこの世を去り、次世代の豊臣秀吉はポルトガル&キリシタンの企みを知り、バテレン禁止法制定を行うことに。これには、先をこされまいとするイギリスやオランダの横槍があったらしい。スペインはポルトガルと兄弟のような関係でもありあまり日本へはちょっかいを出さず、フィリピンに拠点を構築。

 

パリの蚤の市で昔買った中世の地図。アジアの地図の種子島あたりに丸印をつけた。

 

もしかしたら、ポルトガルやローマ教皇の企みで日本は植民地になっていたかもしれない。

 

もし、仮にそうなっていたとしたら・・・、きっとフィリピンの現在のようになっていたのかもしれない。

スペイン系のカトリック教会等の歴史建造物が今も残るフィリピン。その後、アメリカ統治になり独立したために英語圏に。

スペイン系の美男美女が今でも多いフィリピン。

 

 

ローマ教皇が来日されて、ちょっと気になった日本の歴史の一幕でした。