「伊勢へ七度、熊野へ三度」

と、一生の中でお参りの目標とされてきた聖祀域。お伊勢さんから熊野大社までのルートがあるそうな。

世界遺産に認定されて15年の旧熊野大社にす今も気が漂う大斎原の大鳥居を潜ってきました。

どこにあるのかと言いますと、

上(北)は奈良県、右(東)は三重県に接する所の本宮町にあります。

今は、遷座されて新宮となった熊野本宮大社ですが、元々は、本宮という名が残る場所に熊野本宮大社がありました。

明治22年(1889年)8月の水害で大半が流され消失してしまいました。

元は、1万1千坪の敷地に五棟十二社の社殿・楼門・神楽殿・能舞台があったそうです。

ここは、熊野川(本流)と音無川・岩田川(支流)が交わる中洲。地域を守る神社として江戸時代までは橋も無い浅瀬を裾を濡らしながら詣でる神聖な場所だったそうです。そのため、「濡藁沓(ぬれわらうつ)の入堂」(濡れわらじのこと)と、呼ばれていたようです。

これは平成時代に立てられた大鳥居なので鋼鉄製。高さ34m、横幅42mもあります。

熊野古道のお山の上からこの本宮を目指したのでしょうね。

お山から見える鳥居

熊野川は一級河川でかなり蛇行しています。

過去は水害から地域を守ってもらう為に建立されたのでしょう。

 

鳥居の中央に描かれているのは八咫烏(やたがらす)です。

三本の足をもつ(8尺もあるというたとえで大きなを表す八咫)大きなカラスが祀られています。

八咫烏は、日本神話において、初めての東征で熊野に上陸した神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰されている。太陽の化身とも。その為、熊野大神素戔嗚尊)に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルともされるそうな。(ウイキペディアより引用)

(現在の)本宮大社には、こんな黒いポストも正規の郵便ポストとして配置されていました。10年前からだそうです。

かつての熊野本宮大社のイメージ画がありました。

もう一度場所を俯瞰してみます。

和歌山県の右下の端に熊野川があります。

地名でも大きな威厳と格式を持っていた場所だったことがわかります。しんぐうの意味がわかりました。

現在の移された熊野本宮大社は、

イザナギ・イザナミ・アマテラスオオミノカミ・・・

 

お参りにも順序が重要なのだとか、

私の場合には、イザナギ大神からスタートしました。

 

こんな寄贈植樹もありました。

 

おおゆのはら(大斎原)について、こちらに詳しく描かれています。ご参考まで。

http://jinjya.uranaido.net/2008/10/21/post_35.html