今週初めに夫の病理解剖の結果が届いた。


このところ、ようやく気持ちが
前向きになっていたのに、
また病室での夫の姿が次々と思い出され、
つらくて、悲しくて、苦しい…タラー

そもそも夫の死はずっと納得できないでいた。

何故、夫を助けることができなかったかと。

移植後の経過は順調で、
何本も繋がれた点滴が、
全て錠剤に替われば退院できると言われ、
8月中旬 遂に 繋がれた点滴は
最後の1本になった。

この点滴が外れたら退院できる! 
退院まであともう一歩! 

この頃の夫は、
もう病気を克服した気にさえなっていて、
頭の中は退院してからのことでいっぱいだった。

それが突然、病状が急変ガーン

まず腎機能が低下し、体中が浮腫み、
遂には結婚指輪が抜けなくなりそうに
なったのがこの頃。

呼吸困難になり酸素マスクをつけられICUへ。

翌日には人口呼吸器もつけられ麻酔状態に。

3週間も眠らされたままの状態が続き、
このまま目を覚まさずに逝ってしまったら
どうしようと、毎日が本当に怖かった。

麻酔から覚め、人口呼吸器が外れ、
一般病棟に戻れた時はそれはそれは嬉しかった。

でも、どう贔屓目に見ても
夫が回復傾向にあるとは思えない状態。

24時間徹底管理のICUの時は安心だったけど、
絶飲絶食で寝たきり、
ナースコールを押す力もない夫を
病室に1人にしては帰れない。

付き添い申請をしたら許可がおり、
それから最後の1ヶ月間、
私も病室に泊まり込んだ。

結婚以来、こんなにずっと2人きりで
一緒にいるのは初めてだねと言いながら。

GVHDを起こしているのだけど、
原因がどこかわからない、
もう少し様子をみましょうと繰り返す医師。

こんなに弱っているのに、
様子を見ている猶予なんてない、
一刻も早く原因を突き止めて
適切な治療をと訴える私。

症状から大腸を疑って、
真っ先に検査をしたけれど、
大腸はキレイだったとのこと。

けれど、次々他の臓器を調べても
原因は見つからず、
やはり大腸だったのでは…と話が戻る。

だったらもう1度大腸の検査をと頼んでも、
夫の体に検査はかなりの負担だから、
そこは慎重に、もう少し様子をみましょうと。

原因の臓器によって治療法が変わるから、
どこが原因か突き止めなくてはならない。

カンファレンスでは、
大腸の検査したのが早過ぎて
まだ症状が出ていなかった可能性がある、
もう大腸に絞って治療を進めた方がいい!
という意見も出ていたそうだが、
慎重な主治医は、明らかな所見もなく
決めつけての治療には踏み切れないと言った。

ようやく大腸の再検査をすると、
案の定、大腸の壁面が破壊され
大出血を起こしていたそうアセアセ

すぐに最終兵器的なレミケードという薬の
投与が始まったが、時すでに遅しだったえーん

真っ先に大腸を疑った医師の見立ては
間違ってはいなかったのに、
検査が早過ぎて結果が出なかっただなんて、
タイミングが悪過ぎ、運が悪かったとしか
言いようがないショボーン

そして様子見の期間が長過ぎたと思う。

何とかもっと早く手を打つことは
できなかったのかと、
つい恨みがましく思ってしまう。

夫が亡くなり、原因究明と
今後の治療に役立てるためにと
病理解剖への協力を打診された時は、
これ以上夫の体が切り刻まれるのは
嫌だと断りかけた。

けれど、科学の仕事に携わってきた夫なら、
きっと自分の体を役立ててくれと言うだろうと
思い直し、また、私たちも夫の体に
何が起きたのかを知りたくて承諾した。

病理解剖の結果は、やはり、
『大腸が広範囲に荒廃し出血をきたし、
 破綻した大腸の粘膜からの細菌の侵入で
 感染症が生じて、多臓器不全を
 引き起こしたことが直接の死因』
とのことだった。

加えて、移植後 白血病は
寛解したと判断していたけれど、
全身の骨髄や臓器を調べたら
白血病細胞の残存が見つかり、
もし今回の合併症を切り抜けられた場合にも、
将来的に再発の可能性があったこと、
また、生前には確認できなかった、
軽微ながら肺感染症と前立腺癌が
見つかったことが補足されていたガーン

これを読んで、
ほんの少〜しだけ気持ちが収まった。

夫にとって、闘病生活が長く続くのは、
もっと辛かっただろうから。

それにしても、
『難治性白血病の病理解剖結果』
と題されていたんだけど…、 

難治性? 夫は難治性白血病だったのか…?
と、今更ながら初めて知った次第びっくり