昭和30年代の明治通りはそれほど交通量も多くはなくまだまだのどかだった。その為、氷屋さんも歩道側の車道にリヤカーをつけて氷を切り分けることができたのだろう。新三河島駅前から昭和町三丁目までのあたりは中・小企業の機械屋やモーター屋、そして、それらの部品を扱う商店が比較的多く立ち並んでいた。ただそればかりでなく乾物屋、荒物屋、刷毛屋、飲食店などがあり、また果物と野菜を売る八百屋・肉屋・魚屋が入っている小さめの市場なども点在してあった。銭湯も5軒ほどあった覚えがある。醤油とソースはガラス瓶を持って行き量り売りで購入する。調味料が足りなくなった時は、お隣りから借りてあとで多めに作ったおかずなどで気持ちを返すといった交流があった。
また今、思い返してみると風情を感じたのが夏のこと。「きんぎょ~ ェ きんぎょ~
♪」 と金魚を売りに来た時と、朝、自転車であさりを売りに来た時。こちらの方は「あさりいらんかねぇ~
♪」 だっただろうか? 朝起きると、母は白い割烹着を着て台所に立ち朝食を作ってくれた。木のまな板だったため長ねぎなどを刻む音が聞こえてくる。
「みそ汁は朝の毒消し」 という言葉があるように、朝食は、ご飯にみそ汁、納豆や卵や海苔、あるいは大根おろしにしらすか削り節を載せて食べるのが定番であった。そして、日曜日の朝食が週1回のパン食の日となった。
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掃除は、はたきをかけて、ほうきで掃く。時には畳にお茶殻や濡れた新聞紙をちぎって蒔いて掃く。これも昔の人たちの知恵と言って良い。洗濯にしてもお釜でお湯を沸かし、それをたらいに入れて洗濯板で洗い、それを水ですすぐ母の姿があった。機械化された現在よりも家事に多くの時間が取られたはずなのに、あの頃の方がゆっくりと時間が過ぎて行ったような気がする。 ![]()
私自身、今と昔、どちらが良かったかという観点をもって振り返っていませんが、過去を振り返ることをきっかけにして日本の文化や伝統の中にある良さを学んだり確認できればと思っています。 ![]()