私鉄の高架駅から大通りを挟んで2・3分の所にある古い鉄筋の3階建ての建物。並行に3棟並んだ…実際は5棟?だったか…一番南側にある校舎の妻の左上の目立つ所に緑青の吹いた「工業」の文字と校章が伝統校独特の威厳を示すかのようであった。本命の受験地。しかし年季が入ったと言えば聞こえが良いがすこぶる付きのボロ校舎で、教室に入ると木床張りでミシミシ言う古いデザイン。何か場違いな所に来た、と思ったちっぽけな受験生の自分。創立が明治の工業高校は、かってとても入学が難しい学校であったが、勉強嫌いの私にも入れるほど落ちぶれてしまった。
必死に受験勉強した記憶も無いが、過去問集を前にこれをどう使ったらいいのか判らず腕組みしていたことは覚えている。
何と言うのか、お買い得の学校であった。
入学式の日よりその次の日の方が緊張したような気がした。
当時某誌に工業高校を舞台にした空手部の漫画が掲載されていて、高校生棋士が試合中に乱入してきた他高のヤンキーに将棋の駒を口に詰め込んでしばく(お茶を飲みに行くことではありませぬ)という話があってそれが忘れられなかった。もちろんそんな殺伐なところではなかったが。
不思議な伝統として入学生は雑巾を2枚提出することになっていたが、それを自分はは自分で使うものと勘違いしていて名前を書いたら後で黒マジックで消されていたのを知った。
床が木張りなので音がするからかえって老朽化が進んだ印象があったが、実際はどうだったのだろうか。この6年後に同潤会アパートを何棟も体感することになったがそちらの方がましだったような気がする(松葉一清が指摘する通りに江戸川アパートはひどかったが)。大学生の時に校舎が改築されることになって県の教育委員会に話して見学させてもらったが、がらんとしたそれは自分の知らない建物でしかなかった。
改築されると聞いて、既に進学先としては人気のなくなった工業高校の方はなくなるのかと思ったが、8階建ての総合科高校併設となったので驚いた。
移転させれば高値の付く場所であったが、そうしなかったことに県教育委員会の矜持を感じる。
戦後に郊外に移転した県立第1中学校の徹を踏みたく無かったのかもしれない。
