他の人と違って自分には他者と正常なコミュニケーションを取るための何かが欠けているらしい。それというのも自分が家族の中で遅く生まれてきただけでなく周りに遊ぶものもなくそういったものを育てることが出来なかった為だろうか。

 そのため一種のコミュニケーション障害というものに今でも悩まされている。

 人口が少ない丘の上に育ち幼稚園や保育園にも行かなかったから小学校に上がるまで自分と同世代の子と触れ合う機会もなかった。小学校に入学する直前に知能検査をされた記憶があるが見知らぬ子と同じベンチに座らされて泣きだした記憶がある。入学後どのようなことになるかは火を見るより明らかだった。

 初めての「たいいく」の授業はドッヂボールから始まった。その後高校を出るまで球技が体育の授業の主幹となったが、単純なルールと攻撃性を兼ね備えたこの球技は私に体育が苦手という烙印を押しつけた。その後9年間にわたり私の体育の成績は5段階評価で1から上に上がることはなかったのである。

 女子なら萌え要素となっただろうこの烙印は男子には相当応えるのである。

 もちろん私は友達作りも不得手で、家が友達の家からも遠かったので遊ぶ機会も殆どなかった。必然的に孤立していき、小学校4年生の頃には相当ストレスが溜まっていたようである。あきらかにズレた状態で成長していく私の成績なんて期待できるものではなかった。それでも6年間の授業を終えれば卒業し、中学校へ進学するのだが、これもなんだか辛い。中学校区は二つの小学校区を取りまとめたもので、今まで知らない人たちと同じクラスになる。それに先駆けて回覧ノートみたいなのが回ってきたが、一体何を書いたのか? それを見て私が中学校で知らない人達から敬遠されたのは想像に難しくないけど。

 その前にとても厄介なことが起きた。自分の好きな人を聞きだすというどうみてもアレなゲームが流行った。当時はまだセクシャルハラスメントという言葉は流通してなく、アレというしか方法がない。いじめ認定も難しいアレな遊び。小学校高学年とはいえ好きな女子とか心に浮かぶ筈もない。適当な名前を上げたが有難いことにその子は早晩転校してしまった。しかしその後悲劇が起きた。遠足で鎌倉へ行ったが丁度転校したその子がいたといって話題となった。私にとっては災厄以外の何物でもない。心の中の官能基とでもいうのだろうか。それが奇妙な働きをして思わず泣き出してしまったのだ。

 その後の経緯のことは書けない…実際覚えていないので。

 鎌倉という町は自分にとって今でもトラウマな町となっている。