■ 国語ネタ
春期講習国語二回目の、三番目の物語文を思い出しながらお読みください。

主人公は朝の星占いで「きょうは最強のラッキーデイ。天使があなたの味方です」と言われた。
にもかかわらず、その日は友達と喧嘩したり、悪い大人に騙されたりと、散々な日だった。
そして折り畳み傘を落としたお兄さんにそのことを教えてあげようと声をかけたら無視された。
主人公は落ち込んだものの、世界がどんな悪意を持っていようが構わない、クールに行くと決意を固めて、傘を落としたお兄さんを追いかけた。
そこでわかったことは、お兄さんは聾者で、わざと無視したのではないということだった。
お礼を言われて、傷ついていた主人公の心は晴れていった。

 

という話でしたね。
そして最後の部分。
主人公が星占いを思い出しながら別れたお兄さんを振り返ったら、お兄さんの背中が少し盛り上がって見えた。
ちょうどたたんだ「   」ぐらいの厚さに。


「   」の中に入る言葉はなんでしょうか。
もちろん羽(翼)以外の何物でもありませんね。
では、散々暗示されていた星占いのエピソードをまるっと無視した上、比喩などさっぱりわかっていない子供の答えをご覧ください。
折り畳み傘」。
そうだね、文中にお兄さんの持ち物は自転車と折り畳み傘ぐらいしか書かれてなかったもんね。
見事な推理力だね!

 

 

相変わらず国語で絶望した話は前振りです。

日々色々ありますが、頑張って悟りを開こうとしています。

 

勉強時間も相変わらず取れない。

二年ぐらい前の保護者会で、勉強時間なんて予定の6割取れれば十分だなどと励まされた記憶があるが、こっちも子供にキャパオーバーだなと思ったら自主的に減らしているわけで。
すると勉強時間は
0.6 × 0.6 × 0.6 × 0.6 × 0.6 ... = 0
と0に漸近してくわけだけど…?

が、この前決めたうるさく進捗管理をしないというポリシーだか妥協だか諦めだかはまだまだ続けている。
さぴあ4月号の芝の校長先生の話にありましたね。
昔の校長先生が、悪さをした生徒を自宅に呼び、咎めるわけでもなく二人で縁側に座って庭を眺めていたというエピソードが。

さすが仏教系の学校、悟ってる。

私も悟りを開きたい。

だから、重い腰を上げて復習テストの算数の直しを夕飯予定時刻の一時間前に始めたというのに、大問2の2「51を割ると3余る整数の数を答えなさい」で手が止まり一時間近く何もしていなかったとしても、文句は言いません。
サポっていた時の定番文句、「超難問で一時間真剣に考えたんだけどわからなかったんだよ」。
ああそうですか。この問題が難問だったらそれ以降の問題は★100レベルで一問たりとも解けないわ。
そして「もうちょっと考えたら分かりそうな気がするー」と言って部屋に引っ込んでさらに30分、他の家族が夕飯を食べ終わるころに「ようやくできた!」と現れても、「1〜51の整数でいちいち割って調べでもしてた?バカなの?」などとは言いません。

そして、一問に一時間半かければ解ける算数は、考えようによってはまだマシかもしれない。
ついに平均点も取れなくなった社会、直しはいつも通りの以下のパターン。
「なんでこんなに間違えてるわけ?問題をお母さんに見せてみなさい。…えっ、何これ一問もわかんない」
と子供と顔を見合わせて、苦笑い。
社会は一問に♾️時間かけてもそもそも何もわかっていないので、解ける気がしない。
大政奉還が行われたのは江戸城ではなく二条城だって?
なんでそんな重箱の角をつつくようなこと聞くの。
まさか中学受験では重箱の角どころかメインディッシュなのですか?

このような状況であるから、偏差値はいったいいくつまで暴落するのだろうかといのが目下の関心ごとである。
個人面談のアンケートには、「◯中には受かりますか?」という夢いっぱいな質問だけでなく、「上記計算式によると早晩勉強時間はゼロになると予想されますが、率直に言ってどこまで成績は落ちてどの程度の学校なら受かると思いますか?」という質問も書きました。