なんか国語と社会の話ばっかりしてる気がしますが、しつこく国語読解の話です。
以前お受験マスター先生から、他人が喧嘩しようが仲直りしようがどうでもいいと思ってるから読めないのではというご指摘があった件、よく考えてみると全くその通りだと思った。

本ばかり読んでいると、「友達がいないから本ばかり読んでるんじゃないの?」と言われることがある。
これは全ての読書家に対する不当な中傷である!
友達がたくさんいて読書好きな人だっているじゃないか!
と声を大にして主張しておくが、一方で私に関しては、ある意味正しいと言わざるを得ない。
実世界においては人の気持ちがさっぱりわからないけど、本の中では登場人物の気持ちがわかるというのが、すごくいいじゃないですか。

本当に全くわからないわけじゃないですよ。
怒ってるか喜んでるかぐらいはさすがにわかるし。
ただ、表情からの読み取りはできない方だとは思う。
小説にありがちな「一瞬当惑した顔をしたがすぐ笑顔に戻った」みたいなシチュエーションなんて見たことないんだけど、多分実際にはよく起こっていて、私が気づいてないだけなんだろうね。
それに比べて、小説のありがたさと言ったら!
読み取りなんて高度なことせずとも、登場人物の気持ちに関することが、全て文章で明示されているんだから。
もちろん明示されずに比喩だったりすることもあるのだけれど、そのヒントは文中にあるわけだ。
それを読み解くだけで他人の気持ちの理解ができるというなら、こんな簡単な問題、解かないわけないでしょう。

と、いうような理由から私は読解が好きだったのだと、最近ようやくわかりました。
さて、子供も私レベルに他人の気持ちがわからないと思われるが、さらに他人に興味がないらしく、現実世界では無理でもせめて本の中ではチャレンジしようとすら思わないらしい。
超コミュ障で中学ぐらいまでは自分から人に話しかけることもできなかった私に比べれば、子供は気軽に人に話しかけて遊びに誘ったりできるフレンドリーな性格に見える。
ただしこれは、いきなり話しかけられたら相手がどう思うかということは全く気にせず、自分が話しかけたいから話しかけてるんだろう。
これもコミュニケーションの本来の意味ではコミュ障でしょうね。
他人の気持ちを考えるのは苦手な上、そのことに対する問題意識もない、つまり他人の気持ちへの関心がナッシング。
そりゃ国語ができないわけだ。