こんばんは。


昼過ぎにストラップが郵便受けに入ってるというメールを受け取って、取り付けようとしたら、取り付けられなくて、とりあえず、眼のお宮さんに行ってきたもさもさです。


もちろん、お願い事はあれですよ!


お願い事は人に言ったら叶わないというので、ヒミツにさせてください。


さて、帰ってきてから、ストラップを縫い糸で引っ張るように取り付けて、彼氏さんとお出かけしてきました。


行き先は例の場所。


500円で連チャンして、あとは持ち玉が出たり入ったりでしたね。


損はしてないけども得もしてない結果でした。


帰ってきてから、内藤哲也選手の試合結果を見て、ヨシ!って思って、それから、ごはん食べて、お風呂入りました。



これが新しく買ったストラップです。

斜め掛けもできる長さになってます。

これで、内藤哲也選手を撮れる日が来るかはわかりませんが、撮れる日が来ることを楽しみにしてます。

さて、もさもさ、内藤哲也選手と高橋ヒロム選手を推してますが、ふたりとも可愛さとカッコよさを持ってて、なんか、放っておけない感じなのよね。

あ、内藤哲也選手がファンだと公言してる広島カープ勝ってましたね。

なんかね、最近、広島カープの試合結果が気になるもさもさ。

広島カープって、宮崎県の日南市でキャンプやってますかね?まだ。

もさもさ、宮崎市と日南市の境目あたりに住んでいた事あるのよ。

正式にいうと、母親が面倒見きれないと、思春期病棟がある病院に入れられてたのよ。

そこが経営してた診療所から、学校行ったりしてたのよ。

でも、宮崎県といえば、ジャイアンツだから、キャンプ見学は、ジャイアンツ見に行くのが普通でしたね。

んで、仲良くなったアルコール依存症になった大工のオッチャンがたまに原付バイクで広島カープのキャンプ地の日南市まで行ってて、練習試合見てきた話とかを聞いてましたね。

あの頃は、そのオッチャンと野球や相撲見たりしてましたね。

そのオッチャンをもさもさはお父ちゃんって呼んでましたね。

当時もさもさ家は母子家庭で、もさもさだけが出来が悪いと家に住めない状態だったから、そのオッチャンをお父ちゃんって呼んで、気持ちを紛らせてましたね。

だから、広島カープといえば、そのオッチャンを思い出しますね。

あの頃の広島カープといえば、野村謙二郎選手とかが中心だったのかな?

津田恒美投手とか北別府学投手とかが活躍してたかな?

どちらも鬼籍に入りましたが、あの頃の広島カープといえば、もう、地獄のような練習してたと聞いたことがあります。

そして、内角ギリギリの球も恐れないだけの力があった気がします。

足も使うけども、内角ギリギリの球も恐れずに打つ選手がたくさんいましたね。

いまのように危険球判定がなかったし、侍ジャパンとかなかったから、もう、内角ギリギリの球は当たり前。

リアルタイムではなかったけども、津田恒美投手の球威で原辰徳選手の手が折れたのは衝撃的でしたね。

炎のストッパーという名に恥じない闘志漲る投球は、広島カープファンには語り草だそうです。

あと、檜山修之さんが言ってたのですが、広島市民球場の時は、酒樽にファンがお金を入れていくタル募金なるものがあったそうです。

なんか、そういうのいいですね!

俺達が支えてるって感じがしていいなぁ~って思います。

関西在住ですが、広島カープに惹かれるもさもさです。