心因性疼痛と判明したら、次は何する?

体験記④で書いた通り、原因不明の下腹部痛は「心因性疼痛」であることが分かりました。

 

原因が分かったところで、次にやろうと思ったのは、痛みを生み出している自分を研究することでした。

 

自分研究や自己改革という意味では、これまで会社員時代に自己啓発本をたくさん読んだり、コーチングを受けた経験もありました。

 

その期間は高揚感があって、成長した自分になれるような気がしたのですが、時間が経つと「何か欠けた自分」に焦燥感を感じる毎日に戻っていました。

 

今回はそうはなりたくない。背伸びせず、自分を知りたい。

私は親子セラピーを1年受講し、自分というものを改めて徹底的に研究しました。

 

ちなみに親子セラピーとは、『こどもはママのちっちゃな神さま』の著者であり、親子セラピスト®創始者 長南華香さんが考案したオリジナルセラピーです。

 

親子関係は対人関係の原点であることから、幼少期に培われた考え方や信念、価値観が現在の自分をつくっている、ということに着目します。

 

それから幼少期に起こりがちな、親に対する「否定的勘違い」を丁寧に探り、多面的に捉え直してみると、現実に起こっている問題や悩みの見え方も変わり、解決の糸口が見えてくる、というアプローチ方法です。

 

これを読んだだけでは、痛みと何が関係あるの?と思うかもしれません。

しかし、私の場合は慢性疼痛という問題を通じて、自分の心の深い所にあった本音に気付きました。

 

つまり、痛みは私に大切なことを教えてくれていたのです。

 

隠れた本音に気付いてからもまた大きな難関が待っていたのですが、今回はひとまず私の本音とは何だったのか、解読した内容を書きたいと思います。

 

痛みのメリットを探る

これまで何年も、私にとって疼痛は敵であり、私の人生を邪魔する害悪のように考えていました。しかし、親子セラピーでの学びに基づいて少し見方を変えてみることにしました。

 

もし、痛みによって私がメリットを享受しているとしたら、それは何だろう?

 

そんなバカな、のたうち回り、泣き叫ぶほど痛む経験をしているのに💦という思考は一旦横に置いて。1000歩譲ってメリットがあるとしたら、と仮定してみます。

 

深堀りした結果を先に書きます。私の場合のメリットは、

「痛みがあれば、私が私らしくいられるための盾になると思っていたから」です。

 

え?痛みが無いと自分らしく振舞えないの??という疑問が出てくるところだと思いますが、自己卑下の激しかった私には、「激しい痛みがあれば、しっかりした人間として振舞わなくても許される、本来のダメな私でいても言い訳できる」と無意識の潜在意識のようなものがあったのです。

 

 本音として浮かび上がったメリットの具体例(あくまでも私の場合です💦)

痛みがあれば…、

・堂々と体を休ませることができる。

・何もしなくても許される。

・時間に追われずに済む。

・好きなものを食べられる。

・気ままに過ごすことができる。

・ちゃんとしていなくても許される。

・夫に心配してもらえる。etc.

 

こんな私の本音に気付いたとき、ショックでしばらく呆然としました。

これまで、不本意な病気に苦しむ私って不運だ、と思っていたので衝撃過ぎる本音でした。

では、しっかりした人間とは?

 

私が心の深い所で恐れていた「しっかりした人間でいないとマズい、生きていけない」という、その「しっかりした人間」って何なのでしょう?

これも深堀りしていくと、冷や汗が出てくるような偏見や思い込みが自分の中にあったのだということに気付きました。

 

書くことにとても勇気がいるのですが、このような思い込みをするようになったのは、私が子供時代の家庭環境で否定的勘違いをしたことが起源としてある根深いものなのですが、あくまで「こんな窮屈な人もいるんだな~」くらいに捉えてもらえればと思います。

 

根付いていた思い込みと心の中の本音の例(順不同)

(思い込み例①)

 女性でいると損をする。だから「女性だから○○だね」と他人から指摘されないように細心の注意を払うべき。バカにされないように男性に隙を見せるべきでない。

○○の例:体力がない、心が弱い、感情的で論理的思考ができない、かわいいものが好き、など。

(①に対する本音)

 体力があってもなくてもいいでしょ。心が強かろうが弱かろうが良いでしょ。「感情的で論理的思考ができない」という言葉にドキッとする自分いるということは、自分の中にも女性に対する偏見があるからでしょ?自分にもその偏見がなければ、そもそも気にならない。もっと好きな色の服を着たい。かわいい服装やファッションを思いっきり楽しみたい。

 

 

(思い込み例②)

 共働きでも家事は結局女性の方が得意なのだから頑張るべき。主婦になったらなおさら頑張るべき。だって仕事や家事がちゃんとできないときっと夫はがっかりして、私は嫌われる。

(②に対する本音)

 共働きでも主婦でも、家事を休みたい時がある。完璧にこなすのは無理。そんなゆるい自分がいたっていいでしょ。頑張らなきゃダメなんて、苦しいしもう疲れたよ。

 

 

(思い込み例③)

 常に努力を怠ってはならない。常に努力して自分を高めない私は価値がない。社会的に認められない自分は価値がない。苦労しなければ幸せになれないから楽しくしようと思ってはいけない。負荷を感じる挑戦を常に自分に課すべき。乗り越えられない自分は努力が足りないか、自己自制心が足りないせいだ。褒められても喜びを露わにすべきでない。

(③に対する本音)

 努力はしてもしなくてもいい。ありのままの自分を受け入れて生き、大切な人を愛し、愛されされたい。一日中緊張感を保つのは無理。もっとリラックスしたい。休みたい。

 

上記はごく一部の例です。

思い込みと本音のギャップがあり過ぎです(笑)

 

ここで言いたいのは書いてあることの何が正しくて間違っているか、ではありません。

私はことごとく自分の本音を却下してきた、という事実です。

 

本音を自覚したとき、わずかにホッとした気持ちが溢れ、涙が出ました。

私は自分を受け入れてあげていないんだね。

そう気付けたのは大きな一歩でした。

 

次のステップとして取り組んだことは、自分の思い込みに一つずつ向き合って、溶かしていく作業でした。

 

この時まだありのままの自分を受け入れることに罪悪感を感じる私にとっては、戸惑いと苛立ちの続く時期でした。(体験記⑥に続く)