インナーチャイルドを知る

インナーチャイルド(Inner Child)という言葉を聞いたことがありますか?

ここでは簡単な説明に留めますが、親子セラピーの講座の中では別名「内なる子供」とか「止まってしまった過去」とも表現されています。

 

純真無垢な状態で生まれた私たちは、誰しも成長する過程でちょっとした勘違いからショックを受けたり、傷つくという経験をします。そうした時の感情が心の深い場所で残り続け、大人になっても無意識のうちに行動や思考パターンに影響を及ぼすことがあります。特に親との関係の中で生まれることが多いようです。

 

こうしたインナーチャイルドは誰しも大小存在していて、数も無数にあり、全てを完全に癒そうとするのは膨大な時間がかかるので、親子セラピーの中では主要な影響の大きいインナーチャイルドを中心に向き合うことが推奨されています。

 

私は1年ほど前までインナーチャイルドという概念さえ知りませんでした。

 

この言葉を聞いても、自分にインナーチャイルドがいることにもピンときませんでした。

私の感覚では、親との関係は「表面的には卒なく上手くいっている」と思い込んでいたからです。

 

中学生くらいの時に、親と分かり合うことを諦めて以来、心のシャッターを閉じたことを覚えています。

 

「もう親とは分かり合えないから、卒業するよ。私は1人で幸せ掴むからいいもん。」くらいのつもりでいたのです。

かといって日頃険悪な親子関係かというとそうではなく、お互い干渉しない、誕生日には親にプレゼントを贈るという一見すると普通の関係性を保ってきました。

 

私はごく普通の一般家庭の長女として育ちました。(妹がいます。)

両親は「放任主義」を掲げていたけれど、時代背景もあったためか「甘やかしてはいけない」「人様に迷惑をかけてはいけない」という姿勢で教育を受け、厳しく育てられました。

 

お陰(?)で、私は「周囲の空気を察する」「場に溶け込む」「相手に合わせる」のが特技だとずっと自負していました笑

自分をコントロールできないのは弱いせいで、自分を完璧に律することができるのが一人前の大人だと信じていたので、それができない自分に怒りを感じたりもしていました。

 

会社員時代の上司にも「どうやったらこんな立派に育つのか親御さんに会ってみたい」と言われたほどです💦

最大限無理をしていた時代に言われた賛辞としては、心がヒリヒリします。。。

 

私が親と向き合うことを諦めてから、今回インナーチャイルドを癒すに至るまでの間、生きる上で重視していた2大モットーが2つあります。痛いです。

 

①親にダメ出しされたくないから、圧倒的なキャリアを築いて何も文句を言われないようにしよう。

②誰からもバカにされたくないから、相手の望むこと/ものを最大限差し出そう。

 

①の理由は、父が高学歴な人を異様に称賛する習慣があったため、認められるには頑張るしかないと思ったからです。

②の理由は、幼少期に母や周囲の友達から「すぐ泣く」等、弱い子だとバカにされ(たように思え)て傷ついたことがあるからです。

 

これだけ読んでも、めちゃめちゃインナーチャイルドがいることが分かりますね笑

 

一言で言えば「ありのままの私じゃ愛されない。だから心底頑張るしかない。」という、悲しみと諦めのインナーチャイルドが存在していたわけです。

 

皮肉なもので、これが10代、20代の頃の私の頑張るための起爆剤となっていた側面があります。

 

もはや意地のような情熱で実際に進学校に通い、自宅浪人して一流大学と言われる大学に進み、大企業と言われる企業に入社しました。

正直、自分の体がどうなってもいい、と思いながらガムシャラに働いて、順調に昇給していました。

 

でも結局限界が来ました。会社も辞めました。

慢性疼痛も年々悪化して、ロキソニンさえも効かなくなる始末。

 

痛みがひどいと、心も折れる。

痛みは、どんなに前向きな人でも生きる気力さえも折ってくる。

 

もうそろそろ痛みを卒業したい。

怖いけれどインナーチャイルドに向き合おう。そう思いました。

 

今私が一番求めている言葉は、母からの言葉でした。

世の中の親は皆、子供を愛しているのは当然なのかもしれない。うちの親はたまたま言葉にできないだけ、分かってあげなきゃ。

 

そう思って自分の感情を抑圧して、ずっと見ないふりしてきた。

 

でも、私のインナーチャイルドは大人になっても納得していない。

 

「社会的な肩書きや実績ではない、ありのままのあなたが大好きだよ」

 

そう言って欲しい。

気が付けばそんな本音が出てきていました。

 

インナーチャイルドはどんな風に生まれる?

ずっと自分の本音にフタをしてきた私が簡単にインナーチャイルドを見つけられたわけではありません。

自分の一番見たくない感情を掘り起こす作業など、誰がしたいでしょうか笑

でも慢性疼痛を治すためなら、やるっきゃないのでやりました💦

 

私が深く傷ついたことは何だったのか。

ありのままの自分では愛されないと感じるようになったきっかけは何だったのか。

 

きっかけエピソードはたくさんあるのですが、代表例としては2つあります。

 

(1)男の子として生まれるべきだったの?


私の母は男の子を欲しがっていました。

母は「男の子が欲しくて、ベビー服は全てブルーで揃えてたの。でも女の子だったからあなたは全身ブルーの服を着せてたのよ」とあっけらかんと笑い話として私に話していました。


冗談のつもりだったのでしょうけれど、私は、お母さんの期待外れだったんだ。女の子だとダメなんだ、私じゃダメなんだ、とショックを受けました。

 

なので、その後成長して学生時代のプレゼントに母からピンクの化粧ポーチを貰っても、「何で?」と困惑したことを覚えています。私は女だからダメなんじゃないの?と。

 

(2)女性性の否定


私の母もまた、自らの女性性を受け入れられず否定していました。(そうなった背景には深い理由があると後に私は知ることになるのですが、それはまた別の回で。)

 

夫である私の父に対し怖れを抱いて、強迫観念から家事をしているように見えました。

私に対しては「あなたは私みたいに専業主婦じゃなくて仕事を持ちなさい。」等、母は自分を卑下することを言っていたのを覚えています。

 

そうした母の姿を見て、私は「やるべきことをしていないと、結婚しても好きな人から愛されないんだ。」「専業主婦、仕事を持つ人、でランクがあるのか」と無意識に受け取ってしまったのだと思います。

 

両親が本当にそう思っていたのか事実は分かりません。いずれにしても、父にも母にも、本当はどう思っていたのか確認する勇気もなく、「私から見える両親の価値観」がベースになって、私の思考パターンができていったのです。

 

私自身も、男性に負けたくない、バカにされたくない、と思っていました。そもそも比較できるものではないのに、そう思うということは、女性である自分を受け入れられずに、上位にいると思っている男性と張り合おうとしているからだったのだと思います。

 

女性性を受け入れていないため、会社で可愛らしい色やデザインのファッションの同僚女性を見てなんかイラっとする、かわいいスイーツが好きとか恥ずかしくて言えない、など、だいぶこじらせていました。。。

 

いよいよ親バンジーを飛ぶ。

インナーチャイルドの存在に気付くだけでも十分、私たちの癒しは進みます。

 

長い間心の中で無視され続けて、置き去りにされていた小さな子が、気付いてもらえたのですから。

 

大人の私に気付いてもらえて、「そっか、つらかったよね。悲しかったよね。本当はどうして欲しかったの?」と寄り添ってもらえたら、だいぶインナーチャイルドは癒されていきます。

 

なので、わざわざ親に発表などする必要は必ずしもないのです笑

 

ただ、今回私はどうしても母から言葉をもらうことが重要だと感じていました。

 

親は不器用な人だから、愛情表現が苦手なだけ、と諦めてきたからこそ、本当の意味で納得するためには本人の口から聞かないと区切りがつけられない、と思いました。

 

思えば、私自身「ありのままのお母さんが大好き」と言ったことがありません。

 

怖い。

怖すぎる。

でも、やらなきゃ。

ケリをつけたい。

 

 

私にはもう失うものなど、何もないじゃないか。

えーい、やけくそだ!

 

そう思って思い切って母にLineを送りました。

 

「最近、ある人にとても傷つくことを言われた。お母さんは私の大学や就職先を見て好き/嫌いを決めてるわけじゃないよね?」

「ありのままの私のことが好きだよね?」

 

すると母から電話がかかってきました。

 

「どした?」

 

当然の反応です。これまで「好きだよ」とか「かわいいよ」とか言葉に出してこなかった人に、急にそんな言葉を言ってもらうのは至難のワザです。。

 

ひと悶着あって、ついに言ってくれました。(言わせました、かな💦)

 

「あなたは自慢の娘で、ずーっと大好きだよ」

 

もう、私はこの言葉だけもらえたら十分。

 

本人に確かめればこんなに簡単なことだったのに、ずっと勝手に一人で傷ついてきた。

 

私はどうせ愛されていない。

いい子の条件を満たさないと愛されない。

愛されたとしてもそれは一時的。

だって人は信用できないから、と。

 

目の前にある愛に気付かず、確認する勇気もなく、愛を受け取らずに生きてきた。

 

ホッとして、涙が止まらなかった。嗚咽。

腹から泣くってこういうことなんだな。

翌日腹筋が筋肉痛になるほど、号泣した。

 

大好きな人が私のことを大好きなのだから、私だって私を好きになってもいいんじゃない…?


何かが私の中で溶けはじめ、体の力みが取れていく感覚になっていました。

 

(慢性疼痛体験記⑧に続く)