猛烈な抵抗勢力、エゴが立ちはだかる

 

心因性慢性疼痛と診断された私が、親子セラピーコースの受講を通じて自分を研究してみた結果、「自分は、こうあるべきだ!」という長年の思い込みと、心の奥深くにあった「こうしたい」という本音との間に大きなギャップがあることが分かりました。

 

そのギャップが自分でも気付かぬうちに大きな葛藤となり、体の痛みという反応で表出してきたのではないか、そう思うと非常に納得感がありました。

 

原因が分かったなら解決するのは簡単じゃないか、さっさと本音を採用すればいいじゃないか、と思われるかもしれません。

 

でも、原因が分かったとはいえ、自分の本音を尊重する生き方に激しく抵抗する自分もまた存在していました。

そんな抵抗勢力を仮にエゴと名付けるとしましょう。

 

エゴは言います。

「は?自分を律することなく生きていけると本当に思っているの?」

 

「本音を出したら、大切な人たちがガッカリするんじゃない?ドン引きされるんじゃない?」

 

「あなたみたいな欠陥だらけの人を私が厳しく指導していなかったら、高校受験も大学受験も、就職試験も、職場の人間関係も、仕事も、夫婦関係も失敗していたんじゃないの?」

 

「これから本音を大事にするって言うけど、今まで懸命に生きてきたのに、今までの生き方や人生を全否定するの?あなたはそれでいいの?

 

めちゃめちゃ痛い所を突いてきます。

確かに、私のエゴは私を守ろうと必死だったのです。

私が安心安全に生きられるように、傷つくことがないように、悲しい思いをしなくて済むように、強迫観念という形で毎日警告を出し続けていたわけです。

 

慢性疼痛史上、最大の痛みに襲われる

 

私の本音を自覚した直後は、短期的に腹痛が和らいだ時期がありました。

でも、ただ本音に気付いただけで、エゴと本音との間で根本的な折り合いがつかないまま数カ月が過ぎると、これまで通りエゴが優勢になっていました。

 

するとある日の夕方、慢性疼痛の経験史上、一番強い痛みが襲ってきました。

早く再就職せねばマズい!!!と焦っていた時期でもありました。

 

痛みで座ることも横たわることもできず、四つん這いになり、顔をしかめて耐えていても、全く痛みが引きません。

(この激痛モードに入ってしまうと、後から薬を飲んでも効かないのが辛いところです…)

自宅で一人だったこともあり、痛すぎて子供みたいに泣き叫びました。

 

気が付けば2時間が過ぎていました。

 

泣きに泣いて、疲れ切って、ふいに出た言葉は「もう、お願いだから許して」でした。

もう、言うこと聞くから。お願いだから痛くならないで。勘弁して。つらいよ。

 

エゴは、一体何から私を守ろうとしていたのでしょう?

そして本当に私は守られていたのでしょうか?

本当に守られていたのなら、下腹部の激痛に5年も苦しんだでしょうか?

 

エゴは「体調を崩すのは、自己管理ができていないせいだ。他の人は上手くやってるのに。」と私をたびたび責めてきました。

 

だから、「しんどい、限界」と感じている体を必死で制して、エゴの言うままにコントロールしようとしてきました。

 

でも、どうにもなりませんでした。

 

私はついに観念しました。

分かったよ。本音にとことん向き合うよ。

 

もはや理屈で説明のつくものではありませんでした。

体感として「真剣に本音と向き合わないと、もうこれ以上は無理だ」と思い知らされた、というのが正直なところでした。

 

エゴを納得させるには

真剣に本音に向き合うためには、エゴを納得させる必要がありました。

 

そのためには、エゴが示し続けてきた強迫観念、つまり長年の思い込みが本当に正しいのかどうか、地道に検証していくしかありません。

 

そう思ったのも、親子セラピーコースの長南華香先生とお話させて頂いたときの言葉の意味が、やっと理解できるようになったからです。

 

先生は私の生き方の特徴について「必ずしも登らなくていい崖を自ら選んで登っている感じ。そんな崖登らなくていいんだよ、ってご主人も思っているんじゃないかな。どこか苦労を引き寄せてしまっている部分があるの。」と仰っていました。

 

そのときは、「えぇ~!そうなのかなぁ~、でも常に自分を律していかないと危険じゃないのかな。ありのままの自分を認めることがなぜ大切なのか、本当に分からない。」と思っていました。

 

すごく怖いけれど、ありのままの自分、ありのままの本音を私の大切な人たちに見せたとき、本当に嫌われるのか実験してみるしかない!そう決意しました。

 

決死の覚悟で夫に「うしろめたい私」をさらけ出す

私の夫はとても穏やかな人です。そしてコツコツ・キッチリと日々をこなしていく堅実型ですが、生真面目さを私に押し付けて来るような人ではありません。

 

それでも、真面目なしっかりとした人だからこそ、そんな夫の前でダメな自分を見せてはいけない気がして、何だか私にとってはプレッシャーでした。

 

でも、あんな激痛を経験した私は何かが吹っ切れていました。

もうやるっきゃありません。

 

まずは、「幼少期に親に対してネガティブな思いを抱く経験をして、未だに引きずっていること」、それゆえ「自己卑下が止まらず自分を受容できないこと」、生き方を変えたくて「親子セラピーコースを受講していること」、「今もまだ心も体も苦しいこと」などを正直に夫に打ち明けました。

 

メンタル弱い、繊細、めんどくさい女だと思われるかな。

今まで戦友みたいに、同志みたいな関係の私たちの関係に距離ができてしまわないだろうか。

 

夫は私の幼少期の嫌だった経験、怖かった経験を静かに聞いてくれました。

そして理解してくれました。「そんなことがあったんだね、それはひどいね」「でも大丈夫だよ、大丈夫だから」と親身に聞いてくれました。

 

さらに、私が仕事を辞めてから再就職できず、慢性疼痛で家事もままならない日があり主婦としての役割も果たせない、その日一日何もできない、夫の望んでいた子供もできない、ただの家庭のお荷物になっていることが申し訳なくて、このままでは愛想つかされると思っていることも正直に話しました。

 

すると、夫は「確かに共働きでなくなったから収入は減ったけれど、節約すれば夫婦ふたり生きていけないわけじゃない」そして我が家の愛犬を見て言いました。

「もしコイツが毎日トイレ以外で粗相をしまくって、部屋を汚しまくったら嫌いになる?ならないよね。どんなムカつくことされても可愛い子だって思うでしょ?家族はそういうものでしょ?」「それに、○○(私の名)がちゃんとしていない部分もあること、前から知ってるから大丈夫だよ笑」←これは衝撃💦

 

うん、うん。そうだよね、そうだよね…。ものすごく泣けました。

そうなんだよね、愛情って本当は条件付きで与えられるものじゃないよね、と身に沁みました。

 

バリバリ働いて稼いでいるから、しっかり家事と仕事を両立しているから、しっかり専業主婦として家庭を支えているから、毎日規則正しく生活しているから、努力家でいつも高みを目指しているから、とか、何か目に見える条件を満たしているから愛されるのだ、と考えるのは確かにおかしい。

 

私だって、周りの大切な人を条件付きで愛しているわけではない。

それなのに、自分に対しては条件付きじゃないと愛せないの?

 

ちゃんとしている私だから愛される、というわけじゃない。

なんでこんなシンプルなことにずっと気付かなかったのだろう。

なんで私は夫からの愛情を信じて、素直に受け止めていなかったんだろう。

人を簡単に信用してはいけない、欠陥のある私はまず先に相手に何かを差し出さないとダメ、という私の長年の思い込み癖が深く作用していたのだと思います。

 

一連の私の強迫観念の話を聞いて夫は「どうしてそんなことにこだわるの??」と言い、

加えて「謙虚な人だな~と思っていたけれど、まさかここまで卑屈な人だとは思わなかった」のだそうです💦

 

私の中で大きな塊が溶け始めた瞬間でした。

 

それから、「ここはひとつ、人命救助だと思ってお願い!」と夫に協力をお願いしました。

私の自己信頼を取り戻すために、定期的にありのままの私が好きかどうか、確認させてもらうことをお願いしました。

 

一つ目の難関を乗り越えつつありました。

「自分の本音を誠実に丁寧に説明すれば、大切な人にガッカリされることも嫌われることもない」

エゴの言っていた強迫観念は真実ではなかった、私の思い込みだったと確認できました。

 

夫に本音を話せるようになってから、不思議なもので夫に対する素直な感謝の気持ちが自然と湧き出てきました。

そして、日頃ちょっとしたことでイライラや焦りを感じて、常に緊張状態の傾向にあったのですが、自分や他人に対する「ゆるし」の感覚が少し分かるようになってきました。親子セラピーコースの仲間からも「雰囲気が変わった」と言われるようになりました。

 

そして現実の小さな変化も起きました。

これまで、夫が私のためにコンビニでお土産を買ってくることなんてなかったのに、「これ好きでしょ?」と時々買ってきてくれるようになりました。もちろん、素直に「わぁ~嬉しい!!ありがとう♡優しいね!!」と言う習慣も身に付きました。

 

これで慢性疼痛も生きづらさも万事解決するかな?と思っていたのですが、どこかまだ自分を許しきれない、しこりが残っていました。

 

なんだろう?

 

そう、ラスボス、私の親との向き合いを避けて通れなかったのです。

(体験記⑦に続く)