戦後の日本の教育は、おそらく有効なシステムを誇っていたのだと思います。教師と言われる人たちは全身全霊で生徒たちに教科指導をし、モラルを説き人権教育や女子教育を必死に行ってきました。生徒指導の名の下に問題行動をする生徒を追いかけ、涙を流して説得をし、卒業式は感動の門出でした。学校をそうした場として記憶している中年以降の方達も多いのではないかと思います。


イジメがクラスや学年であったり、誰かを孤立させるようなことがあれば、周囲から聴き取りをして事実関係を把握してから、家庭訪問をして問題を共有し、本人たちの気持ちを確認しながら、健全な人間関係を再構築するために、個別面談やホームルームを行い、毎日発行していたクラス通信を通して、人間のあるべき姿や人権についてコツコツと語りかけていきました。


決して、加害と被害の関係に落とし込まずに、どんな集団であれば毎日笑顔で過ごせるのか?ストレスを感じずに勉強できるのか?を考えさせるように努力していました。


文化祭や体育祭は失敗すれば大変ですが、集団作りの良い機会でしたし、生徒が「キャンプしたい!」と言ってきたら「誰一人欠けないこと。僕みたいに経済的に大変なやつもいるからお金をかけないでやろう。ただし僕はキャンプが大嫌いだ」と言って、生徒のヒンシュクをかっていました。主役は生徒たち。僕たちは黒子に過ぎない。


なかなか「仲間外し」が解決せずに、外されている生徒は勇気を出して、自分から挨拶をする努力を続けていました。何がきっかけだったか忘れましが全く関係のないことで生徒全員を怒鳴り「俺は担任を降りる」と言って、教室を出ていきました。しばらくして委員長が呼びにきました。自分たちで話し合いをしたのでチャンスをくださいとのこと。


女子生徒みんながトイレに集まって「誰も外さないクラスにする、笑顔で毎日過ごせるクラスにする」という決議をしたらしく、その発表がありました。泣きながら僕を見て頷いている「外されていた生徒の顔」を見てホッとしたのを覚えています。


教科指導の目的と方法論を徹底的に追求することを怠ったことは褒められたものではないと思っています。英語の授業については「先生、英語が話せません!」で書いたので省きます。教科指導のプロとしてもっとシステム作りをして、英語を話せるようにしたかったと後悔しています。唯一、この県に「英語ディベート」を導入したことだけは誇れることです。勝手に進化していて驚くばかりですが、僕には導入以外できなかったと思います。勉強不足です。


しかし考えてみてください。これ以外に部活動(毎日20時くらいまで、土日祝日は当たり前)、地域で始めた人権学習会(週一回)があります。


書類作成、集金の整理、課題作成、テスト作成、若手育成のためのレポート作成、進路研究やデータ整理と生徒面談と三者面談、後輩からの相談、職員会議、分掌会議、学年会議、教科会議などなど。


これがストレスにならないはずはありません。昔は使命感でこなせていたと思います。飲み会も多かった…「飲めば伸びる!!」と先輩に言われて「そうですよね!」と調子こいていた自分が憎い。僕たちがお酒を飲んだところで、生徒の成績が伸びたり、若い先生たちが成長することはありません(涙)でも、飲み会がコミュニケーションの場だったことは確かです。


数年前、後輩の先生に「よし、飯食いに行こう」と言って「お断りします。先生とご飯を食べていいことがありますか?」と言われて、愕然としながら、「まっ、そ、そうだよね。ごめんごめん」と言って引き下がった辛い記憶が…(笑)


こんな無茶なシステムはもはや通用しないのだと思います。早く改善することで、ストレスを少しでも軽減する必要があります。教師や日本の教育が摩滅してしまう前にドラスティックな改革を、最速で行わなければなりません。それが生徒さんたちのためでもあるはずです。


※性のわるいイジメは、暴力事件・恐喝・脅迫などを含みますので、これは加害・被害を明確にして処理せねばなりません。この場合も、学校は加害の生徒の将来を考え、学校で矯正すべきと考えます。その通りではありますが、警察に任せるべきだと思うようになりました。犯罪は少なくとも警察の領域です。それに何より考えるべきは被害生徒の安全と人権です。