年齢のせいもあるかもしれない。
仲の良い小学校からの同級生と話していると、自分の記憶が間違っていることに気づかされる。
「そうだったの。記憶し間違っていたよ」
その中の1人が恐らくは写真のように記憶できる才能の持ち主で、信じられないくらい詳細に覚えていて本当に驚かされる。
「小6の鼓笛隊の時、佐々木さんはなんの楽器だっただっけ?」
「小6の時は、佐々木美香さんは、小太鼓だった。あなたと同じだったはず」
「え?僕はずっと縦笛で、それより大きな楽器…ましてや打楽器なんてやらせてもらったことはないはずだけど」
呆れたようにため息をついて彼女は言う。
「小5まではあなたは縦笛だった。でも小6で小太鼓に昇進したの。その時、大太鼓が高木治くんで、指揮棒を振ってたのが真田宗勝くん。ちなみに私はバトンだったけどね」(すべて仮名)
僕は不遇な少年時代を嘆くために、ずっと縦笛、つまり、その他大勢だったんだと記憶していた。そして世を嘆き、当時の教師たちの主観的な配置に不満を抱え「僕はあんな教師にはならないぞ!」と強い想いを抱いていた。その記憶が間違っていた。
僕の記憶は、自分が世間を憎むに値するだけの根拠を得られるように、後々書き換えられ定着されていたのだと思うとメチャクチャカッコ悪い。だって僕は憧れの小太鼓(中間管理職的な)を任されていたのに、間違った記憶で、わあわあ騒いでいたのだから。
その後、彼女からライングループに白黒の少し赤茶色に焼けた写真の写メが送られてきた。そこには、列の一番前の手前側で、緊張した面持ちでバチを振りおろす僕の姿が収められていた。
小学校の同級生のライングループほど恐ろしいものはない。次々にペタペタ貼り付けられた写メが送られてくる。そして共有される。
僕は、当時から自分の容姿、身長、生い立ち、家庭環境に引け目を感じ、ひねくれ、それを世間様(職員室という権威と友達)のせいにして、悲劇のヒーローを気取ろうとしていたのか。
「じゃあさ、中学生の時に吹奏楽部の練習の後、僕が男子バレー部の玉拾いをしてたことは覚えてるのかな?」
「ああ、男子バレー部だけ外で練習してて、あなたはコート一つ分を網で囲ったその網に張り付くように外に飛び出すボールを待っていたよね」
「じゃ、あの記憶は間違いないのか…」
「男子バレー部は困ってたみたい」
「え…どういうこと?」
「だって部員でもないあなたが、毎日やってきて大声で挨拶をしてコートの網に張り付いてるんだからそりゃ怪しいよね」
「でも玉拾いしてあげてたんだから…」
「誰か好きな先輩がいるんじゃないかって思われてたみたい」
「ちがうよ。だってあの時僕は…」
「亀井直子のこと好きだったんだよね」
「え?え?え?」
「みんな知ってたと思うよ。わかりやすいからね、あなたは。だから、男子のことが好きではないんだとホッとしたって、河野先輩が…」
「そんなこと一言も…」
「ま、普通言わないよね。思いやり」
その後、幸いなことに彼女から亀井直子(もちろんカメイ…ややこしいな)の白黒写真が送られてくることも、還暦を過ぎた亀井直子の写真が送られてくることもなかった。
悲しいかなこの記憶は間違ってなかったのか…余計なことまで知ってしまった…この年で…それからは彼女に余計な記憶の答え合わせを挑むこともない。
記憶なんて曖昧なものだし、曖昧なままでいいのだと思う…負け惜しみだけど…きっとそうだ…よね…