先日の初耳学で草彅剛さんがインタビューゲストで出ていて、「蒲田行進曲」でヤスを演じた時につかこうへいさんに受けた指導を振り返っていた。口立てで行われる芝居の稽古は演劇を志すもの、つかさんに憧れを抱いていた(いる)ものたちからしたら垂涎の経験ということになるのだろう。


僕は「階段落ち」をストーリーの軸にしながら、銀ちゃんの嗜虐とヤスの被虐のやりとりにとどまらない、恋愛関係ともとれる銀ちゃんとヤスの関係性が「階段落ち」で命を散らす覚悟のヤスとそれを見守るしかないところに追いやられた銀ちゃんの情けなさのところで逆転を起こし、ヤスこそ小夏にふさわしい男なんだと思わせもする複雑さも見せる。小夏は銀ちゃんが好きでたまらない。銀ちゃんも小夏に惚れていながら、階段落ちをするヤスに遅れをとった自分をどうしようもないと感じている。嗜虐と被虐は見事に入れ替わり、小夏への想いの強さとこの芝居にかける想いの強さで銀ちゃんを蹴散らすヤスは、本当は憧れて憧れて命を差し出してもいいとまで思っている銀四郎にも惚れ込んでいる。俺なんかが敵わない銀ちゃんであって欲しいのに何やってんだ!とやらせない想いをジリジリたぎらせるヤス。階段落ちの日は目の前に迫っている。


つかさんの名作中の名作は「熱海殺人事件」「蒲田行進曲」そして「飛龍伝」だと僕は思っていて,特に映画になっている2作品は特に戦後の戯曲の中でもベスト・オブ・ザ・ベスト(ツ)だと思っているが、どうだろうか?


中村雅俊の大ヒット曲「恋人も濡れる街角」(桑田さーん)が挿入歌である。映画そのものは、少し古臭い感じは否めないけど、松坂慶子の小夏は、本当に美しくいじらしい。