僕が中学校に入学した日。


小学校時代の6年間。時折転校生がいて、若干のワクワクドキドキを味わわせてくれたのだが、基本的には馴染みのある顔との変わり映えのない6年間だった。


中学校になると地域の2つの小学校から上がってくるので、新しい顔との少しストレスフルな日々が始まる。特に僕は人見知りを隠して、人間大好き感を醸し出すという自意識過剰少年だったので、探り探り話しかけたりして、一進一退を繰り返していた。


初めて会うタイプの人間もいた。まず名前が衝撃的だった。「佐藤太郎」。郵便局の見本でしょっちゅう見る名前。佐藤さんが自分の子どもにつけたいという衝動に駆られてはその欲望を押さえ込む名前ではある。クラスで一番背が高く、陸上部で活躍し、誰に対しても遠慮なく大きな声で話しかける「いい奴」だった。


ある日、彼がThe Beatlesを宣教師のように僕らに広めてくれた。僕たちは、丸坊主頭の佐藤太郎という燈台の光にどこまでもついていこうと誓った。あの時もし彼が何らかの宗教を広めようとしていたら僕らは入信していたし、変な石とか水とか買っていただろう。


佐藤太郎は、週末になると「おい、みんな、レコード買いに行くぞ!!」と号令をかけ「ノー」を言う権利を放棄していた子羊たちは、500円を握りしめて何十キロも離れた街に自転車でレコードを買いに出かけて行った。貧しかった僕は、ただレコードを見に行く旅に同行していただけだが、佐藤太郎の魅力にやられていた。


どうしたら佐藤太郎のように、確信を持って相手に迫れるのか。これは正しい、これはおかしい、佐藤太郎は笑顔さえ浮かべて、僕らを説得した。僕らが説得されているかどうかなんてまったく気にしていなかった。僕にはそんな自信は全くなかった。不思議と羨ましいとは思っていなかったが、憧れはあった。


先日、何十年かぶりに同窓会であった佐藤太郎は少しも変わっていなかった。レコードを買いに自転車で疾走していた日々を、懐かしそうに話す僕に、佐藤太郎は笑顔で「そうだったかなぁ」と言ってのけた。まるで大したことないかのような様子だった。


これが佐藤太郎だ。僕はホッとした。レコードを見るためだけに、遠い街にあるレコードショップに自転車で行った武勇伝を何事でもないかなように「そんなこともあったか」というトーンで返してきた佐藤太郎は、僕の憧れの佐藤太朗だった。


ただ残念だったのは、クラスでも1番背が高かった佐藤太朗が、巨人であるかのような迫力だった宣教師佐藤太郎が普通の身長に見えたことだった。普通の身長の佐藤太郎が「最近、血圧と血糖値が高くて朝夕薬が手放せなくて…」と話し始めた時、僕はそっとトイレに立った。


でも佐藤太郎、大丈夫だよ。The Beatlesの曲を聴くと必ずあの日の佐藤太郎の笑顔を思い出すんだ。僕らのヒーロー、佐藤太郎を。